VUCAな社会で必要な力は「気づき」力ではないか
生き馬の目を抜く時代にあって、状況は刻々と変わっていきます。安定していると思われているビジネスモデルでも、デジタルトランスフォーメーションを伴う破壊的イノベーションによって外部から破壊されることを恐れて、いわゆる大企業も変革せねばという空気を感じます。
特に解雇ができない日本の法律下では、ビジネスモデルの急激な変化に対して必要なスキルをもたない人を解雇する、わけにもいかない中で、損保ジャパンが介護事業に人材を異動させたというこのニュースが(真偽のほどはともかく)物議を醸したのも記憶に新しいです。
このような状況を総称して「VUCA」な社会といったりしますよね。どうやら元々はアメリカ発の軍事用語みたいですが。
V:Volatility(変動性・不安定さ)
U:Uncertainty(不確実性・不確定さ)
C:Complexity(複雑性)
A:Ambiguity(曖昧性・不明確さ)
VUCAな社会では中長期の計画を立てて後は実行していけばOK、ということにはなりづらく、刻々と変わる状況に応じてかなり大胆に修正をしていく必要があります。
てことは、刻々と変わる状況から、次に自分たちがどう振る舞うべきか、感じて気づく力こそがこれからの時代今まで以上に大事になっていくんじゃないか、と最近すごく思っています。
これまた軍事用語発ですが、PDCAという計画ベースではなく、OODAという観察ベースで行動を組み立てるモデルが最近ビジネス界にも進出してきています。
O:Observe (観察)
O:Orient (状況判断、方向づけ)
D:Decide(意思決定)
A:Act (行動)
この、Orientが僕らの言葉で言う「気づき(awareness)」だと思っています(oだかaだかややこしい...)。観察してそこに何らかの意味を見出さないと、状況判断ができません。この「気づき」のレベルが次の状況判断の確度を上げるのではないかと。
もちろん、気づいただけで何もしなければなんにも意味がないわけで、気づいてDecide,Actすることが大前提ではありますが、質の高い「気づき」はDecideやActのテンションを上げてくれるものだったりします。
データと「気づき」の関係
個人的には、「データ分析」というのはこの「気づき」を補強するものだとずっと思っています。客観的に観察し状況判断をするためには、客観的なデータによる考察が最適だからです。
そして「観察」しているのはあくまでも「起きている現象」であって「データそのもの」ではないというのもすごく大事なポイントです。
起きている現象の観察のために、データを活用する。データを活用することで、より観察のレベル/解像度が高まる、ことに意味がある。
データセントリックにデータだけこねくり回しても、あんまりActionにつながる結果は出てきません。
よく聞く、「分析したけどDecide,Actされなかった」という問題は、Decide力が低い意思決定層の問題もあるかもしれない一方で、分析側のObserve,Orientの筋が悪いこともかなり多いように思います。
本当に激アツな「気づき」が得られると、人はActせずにはいられないものだと思っています。
Hakaliでは世の中の「気づき」を高めるサポートをしていきます
観察からの「気づき」こそが尊い世の中である、という前提のもとで、我々は世の中の「気づき」をサポートしていきたいと思っています。そこでこのnoteでも下記についての弊社の研究結果を随時公開していこうと思っています。
・データを活用して「気づく」ためのテクニック
・「気づき」から組織を動かすまでの方法論(指標設計等)
・「気づき」そのものを組織で多く生み出していくための設計論
・個人の「気づき」のプロセス分解
・「気づく」とはそもそもなんなんだろう議論 etc...
*ちなみに、元々の標語である「指標づくり」の位置付けですが、「気づき」を元に、組織がDecide,Actしやすいように作ったものが指標という認識です。Hakaliとして動いて約半年、その結果を観察した末に、会社としてより大きな概念がテーマであると気づきました。
以上、「やるぞ!」という意思表示でした。目指せ「気づき」の最大化。続く。