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死ぬのが怖い人間は、自分の生き方に問題がある。真理を悟りたいなら、寺を捨てよ。

 私は死にたいしては、どうでもいいと思っている。やがて、地震、戦争で、兄弟が亡くなるだろう。だが、それも運命。

 最後には、私のみ、1人になるであろう。友人も、職場の人間も、親、兄弟ですら、居なくなるだろう。

 それなら、別段、この世で長生きしたいと思わない。戦争で死ぬなら、別にどうでもいい。ただ、導師が防ぐだろう。これは、確信である。

 死ぬのが怖い人間は、自分の生き方に問題があるのだろう。だから、怖いのだ。自分と自分の家族だけ、いいと考えるやつは、落ちるだろう。善人も落ちる。ようは、生き方を考えたこともなかったからである。だから、怖いのだ。

 あいつは、貧困で地位が低いと見下し、それで、よくも、まあ、…、天界に行けると思うなwww。

 他国の貧困をお布施をして、見下している。彼らは、落ちる。募金、お布施など、意味がない。そこに、徳があると、邪念をしている。富は分配するものである。ベーシックインカムとは、そういうこと。

 坊主は、糞坊主ばかりだってな。彼らは、不幸になる人間を、観察していないのである。ようは、見下しているのである。だから、落ちる。昔は、托鉢して、生活していたから、まだ、坊主も、ましなやつはいたが…今は、仏門などは。

 真理を悟りたいなら、寺を捨てることである。悟りたいと本気で考えているなら、一休、良寛みたくなるであろう。日蓮も、親鸞も、まだ、至ることはないのである。


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