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音楽は好きなのに、なぜ音楽の授業は嫌いなのか。

こんばんは!

数年前、アパレルでバイトをしていた時に、「ダウンの半袖ってないですかね?」と聞かれ、「あるわけねぇだろ!あんたは暑いのか、寒いのかどっちなんだよ!」と言おうとしたけど、当然言えず、渾身の苦笑いをかましたOgawaです。


今回は自分の専門分野の「音楽」と「教育」についてお話できたらと思います。今日はとりわけ本気です!笑


そもそもなんで「音楽」の授業ってあるんだろうと思ったことないですか?

そりゃ学習指導要領にはお堅い文章がありますが、理由は2つあると考えています。

判断能力を養う
感性を養う


今日は、「判断能力を養う」についてお話ししようと思います。


皆さん、昔を振り返ると、幼稚園もしくは保育園の時から「お歌」「楽器演奏」がありませんでしたか?

「音楽」の体験は幼少期から長期的に行われているのです。ていうか、「長期的に」行わないといけないのです。


ちょっと学術的な話をすると、


3~5歳(就学前)は視点が自分のみ、【好き嫌い】で判断する

6~7歳(就学期)は視点は自分と相手の2者間、【喜怒哀楽】でも判断する

8~11歳(中学年)は視点は他人の感情を考える、【各々の感情】を考慮する

12~14歳(中学生)は自分を客観的に見た3者間、【多視点】で判断する

15~18歳(高校生)は自分の属する場所を知る、【集団】の視点を優先する


といった、【視点】と【判断能力】が成長の中で変わっていくのです。


これを音楽に落とし込むと、「音楽」の授業は、

「この曲好き」

「ふるさとを聞くと懐かしい」

「ベートーヴェンの運命を聞くと教会の映像が思い浮かぶ」

といった判断をする学習(時間)なのです。


いわゆる、5教科と言われる主要科目(国数社理英)は、

知識、技能、考え方を身につける教科で、


「音楽」は様々な音楽に触れ、判断していく=自分の経験に落とし込む


もう少し具体的に言うと、

学校で習う「クラシック」「合唱曲」「リコーダー」、学校を卒業してから一回でも演奏したり、聞いたりしましたか?

「やった、知ってるけど、学生以来全く」という人が多いでしょう。


でも、


「あの曲だけは何かずっと覚えていて、好きなんだよな」


という曲やシーンありませんか?


そう、「音楽」の授業は

子供によっては【判断】をする機会=判断能力を養う場所だけど、


教員は、10年以上かけて様々なジャンルの音楽を子供と一緒に体感する、


つまり、

教員にとっては、色々な音楽を提案する時間(空間)なのです。


自分で言えば、


「我が祖国」よりモルダウ(スメタナ作曲)


これを聞いて、「よくわかんないけど、川っぽいな」と思ったんです。

(※モルダウとスメタナのどっちが曲名か作曲者が一瞬迷うんだよねー)

でも、「よくわかんなかったこと」を覚えているので、今は一番思い出深い1曲です。


「音楽」の授業は「できるできない」ではなく、「何を感じるか」なので、1mmでも記憶に残れば、大勝利です。


まとめると、

「音楽」の授業は

子供にとっては、判断する学習(時間)

教員にとっては、色々な音楽を提案する時間(空間)


つまり、「音楽」の時間は体感する時間(空間)と経験こそが一番大事なんです。

「クラシック聞いてみようかな」

とか

「ドラムやってみようかな」


というきっかけ(環境)を作ることが音楽教員の仕事だと考えています。


明日は「感性を養う」と「音楽」の授業を嫌いになる理由についてお話ししようと思います。

読んでいただきありがとうございました。











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