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音楽は好きなのに、なぜ音楽の授業が嫌いなのか。

家の前の小学生と話していたときに、「りんごちゃんって古いよね」という発言に鳥肌が立ったOgawaです。(子供の新しいって短い)


前回から随分と時間がたってしまいました。先に前半を読んでいただけるとありがたいです。


前半の要点は、

音楽の授業は子どもにとって「好き嫌いの判断の空間」で、教員にとって「様々なジャンルの音楽を提供する空間」であることを書きました。


いつの時代も

音楽を好きな人は多いけど、「音楽の授業っているの?」という打ち切りの対象になりかねない教科です。


では、音楽の授業の価値はどこにあるのか。それは「経験」だと考えます。

これは思い出としての「経験」になります。学生時代の思い出は行事や部活動、遊んだ記憶などの楽しい記憶ばかりの中、授業で記憶に残りやすいのは「音楽」の授業です。「○○歌った」とか「○○めっちゃ楽しかった」という思い出が残るため、卒業後も年を取ってからも話題のタネになりやすいです。音楽療法(認知症リハビリで活用され、記憶を音楽によって呼び戻す)があるように、音楽とリンクさせることで思い出はより濃いものになります。

だから、音楽の授業は楽しく、価値のあるものである必要があります。

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しかし、経済的にも社会的にも苦しい中ではお金や信頼・人を巻き込むという「生きる力」を子どもが身に付けないと、未来の日本が沈みます。

だから、自分は音楽教員である前に「将来の日本を担う子供を導く者」として子どもに「お金・言葉・信頼」をきちんと身に付けてほしい、


と大学院での面接で鬱陶しい思いを吐いてしました。これからは院生としてもっともっと誰よりも勉強し、挑戦することを誓います。

読んでくださりありがとうございました。

Ogawa




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