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酷道9号にまつわるエトセトラ

この記事は,エクストリーム帰寮 Advent Calender 2021の18日目の記事です。他の参加者の方々が書かれた記事のほうが面白いので,ひとまず上のリンクをクリックすることをおすすめします。

エクストリーム帰寮とは

異常なくらい大規模になって,今や熊野寮祭の恒例行事みたいになってますが,実際まだ3年目とかみたいですね。かくいう自分も,「男も女もすなるエクストリーム帰寮といふものを我もしてみむとてするなり」ぐらいのミーハーな気持ちで参加したので,謎の大規模化に加担してしまった1人です。

登場人物紹介

全員京大理学部2回生で,1回生のときに万物が流転した結果知り合い,今に至ります。

  • 私:特徴がないのが特徴

  • まなか:自称天才数学徒

  • 三毛猫:他称天才数学徒

いざ,出陣

ねるねるねるねで英気を養い,満を持して熊野寮へ。
ちなみに上のツイートは,1人だけ高級品「クリームソーダあじ」を食べていることを強調し,格差社会を風刺するツイートらしいです。嘘です。

さて,なんだか重々しい誓約書を携えて寮に到着したのが,ちょうど日付が変わるころ。「拾ってください」と書かれた段ボールの中の猫のような気持ちでドライバーを待ち続け,なんとか理学部3回生の優しいお兄さんに拾ってもらいました。
車内では,みんな大好き「ずとまよ」が流れ続けるなか,優しいお兄さんの面白い話に舌鼓を打ち,気づいたらなんだか曲率半径が短くなってました。優しいお兄さんには「滋賀は飽きたので滋賀以外でお願いします」と頼んでいたので,西のほうの山の中に飛ばされそうだということはなんとなく察していたのですが,いざそれが現実味を帯びてくると緊張してくるものです。

着弾,帰寮開始

出発から1時間と少し――車から降ろされた場所は,我々の想像を超える“おもろい”場所でした。

サバゲ―キャンプ「ボーダーゾーン」――もはやエクストリーム帰寮の出発ツイートのために用意されたのではないかと思ってしまうような,コンテンツ力溢れる怪しげな看板。
こんなTwitter映えする場所で降ろしてくれてありがとうございました――優しいお兄さんにそう礼を告げ,車は走り去っていきました。

まずは帰寮の定石「地名探し」から始めよう――そんなことを考え始めるまでもなく地名は見つかりました。そう,ここは山の中とはいえサバゲ―キャンプの入り口。郵便受けがあって,そこに番地まで書かれていたのです。
それによると,ここは京都市西京区大原野なんちゃらという場所。括弧書きで大阪府高槻市うんぬんとも書いてあったので,ちょうど府境なのでしょう。あれ,40km飛ばされたのにまだ京都市???拍子抜けしつつも,満を持して帰寮開始です。午前2時ジャスト!
うっかり車が走り去った方向を見てしまったのですが,「優しいお兄さんによるひっかけかもしれない」などど適当な理由をつけて,どちらに行くかを決めるフリをしました。まあ,車が走り去った方向に歩き始めたのは言うまでもないですが。

今思えば,最初は本当に順調なお散歩でした。開始20分でバス停を発見し,絵地図の中に「亀岡」の文字を見つけ,進む方向は自動的に決まりました。

地元の方が手作りしたのであろうかわいい絵地図

写真見ると分かるんですけど,バス停の名前,「出灰(いずりは)」だったんですよ。めっちゃカッコ良くないですか。コナンに出てきそう。出てこないけど。

ちなみに三毛猫は三毛猫ではなくカビゴンになっていました。明らかにオーバーサイズなのが可愛すぎて抱きしめたくなりました。というか抱きしめました。

ずっと大阪府なのか京都府なのかよく分からない場所を歩いていたのですが,ようやく国交省お墨付きの「京都府」看板をいただいて,亀岡市と思われる場所に入りました。
正直この辺りは沿道がひたすらダークフォレストで,途中のトンネルで音波の固有振動を感じた以外は特にめぼしいものはありませんでした。ずっと恋バナしてたのは面白かったですが内容は書けないのでね。あ,ダークフォレストから明らかに有機的な音を感じて3人ともビビり散らしたのを忘れてました。あれは熊だったのか猪だったのかそれとも人間だったのか。

道中唯一のトンネル

国道9号へ

午前5時すぎ,第1コンビニ発見。ここで初めてのトイレ休憩です。三毛猫ことカビゴンはトイレに行かず外の駐車場で待っていたのですが,レジの店員と話していたおっちゃんがカビゴンのほうを見てニヤニヤしてました。笑ってくれただけマシだと思います。

と,ここで初めて道路標識に「京都」の文字を発見。京都に住み始めて1年半,変に土地勘を持ってしまったばかりに,国道9号が京都市と亀岡市を結ぶ唯一の(まともな)道路なのは知っていたので,もうここからは迷うことはないだろうと確信しました。むしろ迷うのがエクストリーム帰寮の醍醐味だと思っていたので,寂しささえ覚えたものです。
午前5時半,国道9号に入り,「いかにも国道」といった雰囲気の場所をひたすら歩きます。ステーキ宮,ジョリーパスタ,スシロー,それにココス。「ロードサイドにありがちなチェーン店スタンプラリー」をしているかのようです。こういう道路って,子供の頃に家族で外食するときに車で通る道という印象が強くないですか?歩くのってなんか新鮮。

酷道9号へ

亀岡市王子交差点――ここで突如として,国道9号は酷道9号へと化します。
誤解のないように言うと,1桁国道が酷道なわけがありません。「自動車にとっては」ね。峠道とはいえ片側1車線はあるし,車道の幅はそこまで狭くありません。しかし我々は歩行者です。鉄道も自動車も発達した現代において,こんな峠道を歩いて越えることは想定されているでしょうか。残念ながら,答えは否。目の前に確保された路肩はわずかに数十cm。エクストリーム帰寮で命を落として末代まで笑い者にされるのはなんとしても避けたかったので,我々はすぐ近くに見つけた旧山陰街道を歩くことにしました。

しかしこの山陰街道がなかなかの曲者だったのです。後で分かったことですが,この道はGoogle Map上ではつながっていません。つまり我々には,国道9号の狭い路肩を命がけで歩くか,あるいは地図にも載らないような山道を方向も分からず歩くかの2択しか与えられていなかったのです。
当然,このときの我々にはそんなことは分かりません。旧道とはいえつながっているはずだ――そう信じて疑わなかったのです。

怪しい兆候はすぐに表れました。分かれ道の左に行っても右に行っても,その先につながる(9号以外の)道がないのです。仕方なくしばらく命がけで9号を歩くと再び旧道が現れ,ひと安心して峠を越えたところで再び道が途切れる。文章にすればほんの3~4行で終わってしまいますが,この一連の流れに我々は2時間近くを費やしました。
道なき道を歩んだ先には,謎の2車線道路。京都市西部リサイクルセンターへの専用道です。おそらく歩行者が立ち入ってはいけないであろう道を歩きながら,京都市に入れたことを確信した安心感と,この先の道がないことへの不安が同時に襲ってきました。

そんなこんなで結局酷道9号に戻ったところで,思いがけない出会いがありました。
「おーーーい」という声のするほうを見ると,モンエナ片手に国道脇に佇む,陽のオーラを感じる2人組。そう,別の帰寮参加者に遭遇したのです。

話を聞くと,彼らは我々がビビって歩かなかった酷道9号の路肩を何の深慮もなく歩いてここまでやってきたようです。肝すわってんなあ。
(後日談:しかし蓋を開けてみると,この区間を歩いた帰寮参加者はほとんどが彼らと同じように路肩を歩いたようです)
彼らとともに沓掛あたりまで峠を下り,そこで分かれました。彼らはカビゴンを面白がってTwitterにアップしていたと記憶しているのですが,検索をかけても当該ツイートが見つかりません。もしこの記事読んでたら声かけてくれると嬉しいな。

歩きながら寝る能力

山場は越えました。ここからは消化試合。削られた体力と痛み始めた身体とどう付き合っていくか,それだけです。
朝10時を回っても相変わらず恋バナに花を咲かせながら,桂坂の住宅街を無心で歩き,まるで私立大学のような桂キャンパス(※褒め言葉です)の綺麗さに驚きながら,桂駅の方向に山を下ろうとしたそのとき,まなかに異変が起きます。

「眠い…」「まぶたが閉じていく…」「あ…寝てた……」

この3つのセリフが何回繰り返されたでしょうか。そう,頭を使う山場を越えたからでしょうか,まなかは歩きながら寝るようになってしまったのです。

千代原口,三ノ宮,西京極。京都市の西のほうの見慣れない地名をたくさん見ました。阪急の線路も潜りました。桂川も渡りました。おそらくまなかは1つも覚えていないでしょう。彼はその間,まぶたを閉じ,歩道から斜めに逸れていき,私や三毛猫があわてて軌道修正し,たまにハっと目覚める。ひたすらその繰り返しだったのですから。

ちなみにこのとき歩いていたのも国道9号です。しかし,それは数時間前に見た酷道9号とは全くの別物。片側2車線,無駄に広い歩道,しかもそれとは別に自転車道まであるんだからびっくりです。

しかし悲しいことに,歩道が広いからと言って距離が短くなるわけではありません。「烏丸五条まであと〇km」の標識の間隔がだんだんと広くなっていくように感じました。怪しげな雲が漂い始め,大きな雨粒も降ってきました。突然の大雨で目覚めたまなかも,雨が止んだらまた寝始めました。それでも歩みを止めることは一度もなかったので,人間の身体は不思議なものです。

三毛猫は弱音を吐かずに歩いていましたが,なぜかパソコンの入ったリュックをずっと背負っていたので,相当つらかったでしょう。気づかないうちにカビゴンではなくなっていました。私の腰も足の裏も限界が近づいていました。

なんとかツイートする元気だけは全員残っていたようです。
ちなみに体験記を書く元気はそろそろ尽きてきそうです。

おしまい。

総評

結果的に最短に近いルートで帰れたのは幸運でした。酷道9号を回避できるルートもあったようですが,そっちはそっちで何かしらキツそうではあります。だからと言って酷道9号を許すわけではないのでそこは誤解のなきよう。本当に許さねえからな。

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