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逝ってしまったあなたへ

あなたの訃報が、回り回って昨日届いた。
亡くなったのはもう1ヶ月以上前のことだったという。
2年前までは、とても近しい存在だったあなた。
プライベートでも仕事でも。
子どもも含めて一緒に旅行にも行ったし、飲んだり、食べたり、ただおしゃべりしたり。
仕事もいっぱいしたよね。一緒に本づくりをして、うわあ、こんなふうにページを作ることができるんだ、と嬉しくなるようなすばらしいページづくりをしてくれた。
だけど、2年前にあるいさかいがあって、やりとりはぴったり途絶えた。
わたしも、そしてあなたも、いったん心の扉を閉めてしまうと、再び開くことはめったにない性格で、だからどちらからも「あのときはごめん」などといいだすことはなかった。

もう10年以上前、あなたは難病にかかったとメッセンジャーで伝えてきた。
心底驚いたけど、でも、私はあなたの人並み外れた意志力を知っていたから、すぐにどうこうなってしまうことはないと思っていた。
だって実際、病気になってからも変わらずにバリバリ仕事をしていたし、人が簡単になれないようなポジションにもなって、若手を育てて世に送り出していた。海外にも行っていたみたいだし、自治体と協力してすばらしい冊子を作ったりもしていた。テーマにしていた自然と動物などについて優れた仕事をすごい勢いでしていた。信じられないほどのエネルギーだと思った。

いさかいがあってからも、どうしているだろうとよくあなたのことを考えた。Facebookを見て「元気にやってるみたいだ」と安心したり、もう一度やり取りを再開するにはどうすればいいんだろうと思ったりもした。
いさかいがあってすぐ、手紙を書こうと思ってる、と、共通の友人に話したら「今すぐはやめたほうがいい」と言われた。
感情が大きく波立っているときは、過剰な言葉を書いてしまいそう。私もそう思ったからやめた。
ちょっとだけ、あなたは病気なのに、今、仲直りしなくていいのだろうかとも思わないではなかった。
だけど、それを理由にして私が手紙を書いたり、電話で話したりすることを想像すると、それは自分が楽になりたいだけ、荷物をおろしたいだけで相手には迷惑なのではという思いがよぎり、また、二人共の、いったん扉を閉めた相手にはめったに開かない性格を思うと、どんな答えが返ってくるか想像するだけで怖いということもあった。「ふーん」と言われて終わるんではないか。形だけ「そう。わかった」と言われるか、いや、時折あなたはバッサリと切って捨てることもあるから「あのね、どう言われてももう気持ちは変わらないから」と言われそうな気もしていた。

こういうことって、いつか自然にときが巡ってきて、雪解けのタイミングが訪れるものなんじゃないだろうか、まだ「じかんくすり」の薬は効いてないのではないだろうかなどと考え、その時を待てばいいやと思ったりしていた。これまで難病でありながら元気だった(と見えた)あなたなら、今アクションしないでもその「とき」はいつか来ると勝手に思い込んでいた。

でも、その「とき」は来なかった。
愛する家族に見送られて(と、共通の友人から聞いた)、あなたはひとり、旅立ってしまった。
私の胸の中には、泣き出したいというような気持ちより、空虚な感覚がある。胸にぽっかりと深く空いた真っ黒い空間ができてしまったような思いがする。
その穴を覗くと、一緒に旅行したときに「これがいちばんのお土産だわ」といって、紅葉したモモタマナの大きな葉っぱをバインダーに挟んでいた仕草や、集落を見下ろす小さな山に登って、あなたの子どもと3人で青い海や光る緑の山を見たときの弾んだ気持ちや、山でノヤギの子どもが親を呼んで「メェぇぇぇ!」と鋭く鳴いているのを聞いて「外来種はさっさと駆除すればいいと思っていたけど、あの鳴き声を聞くと気持ちがゆらぐ」と言っていたあなたの顔つきなどがスライドショーのように映し出されては消えていく。

私は初めて、長い時間、同じものに共感して感動を分け合った友人を喪ったのだという思いが湧いてくるのを感じた。

この穴はずっと、埋まらない。
深い穴は透明な黒さに満ちていて、私がそこに吸い込まれたときに、あなたときっと再会できるだろう。


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