週刊おぽぽ。(23)
自分でゴールも出口も設定しないから、そうなってくると「死」が自然とゴールとか出口とかになってくる。そんなのヤダ〜。
何かを作ってもすぐに過去のものになってしまって、だからホラ、いつまでもなにもない。イターナウすぎる。
6月3日(月)
雷がすごかた。突然の雨は夏の雨の感じがした。やりたいこととやらなきゃいけないことのバランスが取れてるときが、良い調子な気がする。
6月4日(火)
ちょとずつ映像を作る。トイレのトイレットペーパーのホルダーがステンレス製なんだが反射した自分の顔を見て「いたのか、おれ」と思う。ぼくはぼくのそんざいをたしかめられない。
6月5日(水)
例えばこの映像を作るのに8時間かかるとして、1日1時間ずつ進めると、8日かかる。
6月6日(木)
なんか午前10時くらいに鳥がめっちゃかわいい声で鳴いてて良い。
6月7日(金)
いま、金曜の25時くらい。寝る時間が少ないので早く寝たいが、作ってしまいたいものがあるので、がんばてる。できた。
6月8日(土)
でけた。
6月9日(日)
ちっさい椅子に乗って、垣根のマサキを切ってたら椅子のバランスが崩れてコケた。久しぶりにカラダが宙を舞った。ふとももぶつけたけどなんともなかったヨカタ。風呂屋で体重計に乗ったら何かが増えてた。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉があるが、私が思うだけでは私は存在しない。誰か(何か)に反射したり内包されたりしないと、私は私の存在を確かめられない。そんなことを、トイレットペパーホルダーの件で思ったりした。
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