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野良の巫師の職業遍歴 その1

自慢じゃないですが、職務経歴書が多彩です。どのくらい多彩かっていうと、いろいろありすぎて割愛して書いているのに、採用面接で笑われるくらい多彩です。職歴のことで面接が盛り上がりすぎた割に落とされた会社が何社あるか、ぶっちゃけわかんないっす笑。

会いに行ける霊媒師というキャッチーなコピーを現在嵯峨美に進学されたらしいJKに頂いたわたくし。周りからは「えみちゃん」と呼ばれてます、惠御子だもんで。で、惠御子は霊媒なわけですが、まあ霊媒なんてそうそうご用命があるもんじゃないわけで笑笑 。今だって毎日爪先立ちな人生ですが、えみちゃんにはある野望があるんすよー。


講師としと、生きてみたい。


なんだそれ、って思ったでしょー。まあ、聞いてくださいよ。いつかはえみこも死ぬわけじゃないですか、人間なんで。その後、誰がいまのあたしの仕事、やんのかなー、とか思ったわけですよ。いや、いないんじゃね?とか、なった。お客様からも「あんた、変わってんねー。あんたみたいな人初めてみたよー」とか言われますし。自分では自覚ないけど、どうやらかなり変わってるらしいぞ、と。で、その変わりぶりは、職歴の一部が影響してんじゃね?と、なったわけです。


シンママだもの。働かなければ、生きていけない

わたしは20で専門学校を卒業し、プログラマーになりました。昭和の終わりのころ、バブル真っ只中。まだ世の中に、ウィンドウズがないころの話です。そしていろいろあり、わずか一年でその会社を辞めました。寿退職し、いまの時代女子の憧れとさえ言われている専業主婦になったわけです。まだ21、周りからは「子どもできたわけでもないのに、馬鹿じゃないの⁈」といわれていました。こう見えて手順は守るタイプなんだよ。

14年専業主婦でいましたが、流れってあるもんで、社会復帰したい!と思ったときには、フリーランスになるしか道がありませんでした。ちょっと変わった家に嫁いでしまったことが原因ですが、そのお話はまた後日。余談ですが、離婚して今年で12年、無事にバツイチ小学校は卒業致しました。再婚願望はあれど、いまだ叶わないままのため、バツイチ中学へ進学することになります。ほんとは違う学校に行きたかった笑。

離婚後、引き取った二人の子を養うためにガシガシ働きました。当時17と14、お金が一番かかるの時期。別れた元夫は何もしてくれません、なぜなら彼はわたしが子連れでうちを出た翌日に親権放棄を宣言していたから。調停離婚したので子どもが20歳になるまでは毎月3万の養育費が二人分支払われましたが、めでたく20の誕生月に打ち切り笑。5月生まれと6月生まれ、まだ専門学校二年の春先に律儀に養育費が止まりました。子どもらが改めて父親は自分たちを捨てたのだと実感するには十分すぎるできごと。そばで見ていて切なかった。

子ども名義の預金以外財産分与的なことはろくになく、むしろ自宅分の相続は放棄したわたし。早く離婚するために、と弁護士さんから言われたからでしたが、ロクな蓄えもなく私学に子ども二人を通わせるには、ひたすら働くしかありません。バイト面接は2ヶ月で30社くらい受けました。半分くらいは書類審査さえ通らない笑。最後は「ねぇねぇ、どこなら働けると思う?」と、ゲーム感覚で履歴書を書いていたくらい。そんなわたしが最終働いたのが次の三箇所。

◯市役所臨時職員

◯不動産賃貸部

◯学習塾二社

この二社目の塾が、すっごいよかったんです。


運命の出会いって、あるなあと思った

その塾は関東では大手の受験塾。名前を言えば、みんな知っているくらいメジャーなとこで、新校立ち上げのオープニングスタッフの募集。ぶっちゃけると、前日派遣会社に登録に行ったら、明日面接に行けば落ちずに働けます、と言われたのがきっかけ。指定の時間に面接に行くと、超爽やかなおにーさんが(実は室長だったんですが)キラキラの夕日の中を現れた。そのシーンだけは、今でも鮮明に覚えています。

実はここで働く前に、別の大手塾で半年働いていました。仕事が嫌いな室長さんで、もう社畜並みに働かされた。一日13時間ワンオペとか、もう無茶苦茶過ぎ。でも時間講師は大学生のバイトだけど、みんないい人ばかり。彼らを学校休ませて働かせる室長が許せなくて、彼らの人生を守れない自分が嫌で辞めました。まあ、この時点で、もうバイトの視座ではないわけですが笑。この離職のショックから、二度と塾産業では働くまいと決めたわたし。でも、半年後にご縁が巡ってきた。そこで復帰する際、これだけは絶対しないとある決意をします。

次の校舎では、もう、なにも愛すまい。


これ、わたしにしたらすごい決断。なにしろ愛したがりなわけです、まあ霊媒ですんで。それがなんにも愛すまいと決めた、愛さなければ哀しくも切なくもない、傷つかない、そう思った。ま、結論からいうと、そんなこと無理でしたけど。


愛しくて、泣く。

愛しくてね、この職場。みんな超いい人なわけです。結果丸二年ちょい勤務して、本当によくしてもらいました。みんな大好きだった。離職理由はいろいろありますが、決定打になったのは2chのある掲示板に個人情報が晒されたことです。うちの家族は当時全員表現畑にいて、息子はアンチスレが10枚は立つ絵師。わたしは彼らから「息子をゴミにしたダメ母」として叩かれていて、顔つきで晒されてネタにされました。

受験産業は信用が命。もし保護者の方が目にしたら、大切な場所に迷惑が掛かる。だから、室長に相談して退職する道を選びました。連絡した日から出勤停止、まともにサヨナラさえできませんでした。大好きな人たちだったから、悲しかったけど。最後にできるご奉公なのだと気持ちを納得させました。退職後その社の広報が全国の推薦教室を募集したことがあり、勢い勇んで投稿し掲載されたときは心底嬉しかったー。

いろんな別れがありますが。あの場所でなら、もう一回働けるような気もするし、働いてみたい気もします。余談ですが、実はいまもネット炎上に巻き込まれ中笑。どーやら、炎上霊媒師らしいんすよ、こー見えて。


そのお話は、またいつか。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。