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自分の願いに責任を持つ時代

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新されます。たまに気まぐれに不定期更新しますけれども。

願いと祈りの差がわからないと、なかなか難しいかもしれないお話ですが、令和はすべての人が自分の願いに責任を持つ時代と言っていいと思います。やれ光回線だの5Gだのって、より高速を求める社会ですが、見えない世界のルールって実は大昔からアップデートされてません。もしそこがアプデされたなら、わたし達人類は霊長類の頭ではいられなくなるでしょう。なぜならわたし達の脳は、昔と大差なくできているからです。オールドブレインなんですよ、わたし達。

靈氣は手当て療法であり、氣療法です。でも、古式の臼井式靈氣にはいま海外から絶賛入ってきているシータヒーリング系の要素があって、潜在意識に働きかけて、脳に働きかけていく療法があるのです。そして、それは西洋レイキの分野にはない技術なのだといいます。古式靈氣の奥伝と言われる課程で教授されるこの技法は実は諸刃で、それ故にうちの伝授はどんどん人選が厳しくなりました。そんな技術を、人間性がわからない人に教授していないかの責任持てなくなったからです。

他校からうちに来て、初めて聴いた話がたくさんある、という声も聞きました。同じ親から教わったはずなのに、まさに靈氣の伝授は氣の伝言ゲームだなあ、と思ったりします。もっとも、わたしも独立してからの9年に知り得たことの方が多く、それを実証してきた部分が大きいです。まだ知りたいと思っていたこともたくさんありますが、それを知るよりもやるべきことが出てきたような気がした2020年のお正月。待ちに待った臼井靈氣生誕100年まではもう後2年になりました。

祈りと、願いがどう違うか。こんな哲学的な話がわからなければ、うまく機能しなくなるのが靈氣です。エネルギーに意思はありませんが、神氣には意思があります。それは神水を使った御霊守というオリジナル祈祷品を生み出してわかったことでした。

御霊守については、こちらから。

祈りと願いは、作用も違えば性質も違います。そんなことを学んでいくのも靈氣の醍醐味、手当て療法だけがすべてではないのです。ちなみにわたしはヒーリングという言葉は使いません。ヒーリングという言葉を臼井先生は存じ上げなかったろうし、使われても居なかったと思うからです。そこだけは、意地を張り通したい。

ま、自己満ですがね。


日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。