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龍神靈氣読本は毎週月曜更新予定……のはずが。
先週は更新する余裕もなく、今週もすでに水曜。
楽しみにしてくださっている方、大変失礼いたしました。
本日11/3文化の日は是が非でも!な更新理由があり、もうもう必死に更新しております。

臼井靈氣と文化の日は、とても深い関係があります。
あまり知られていないようですが、臼井甕男という方はたいそうな明治天皇信者だったそうで。
天皇を信仰する、現代人にはきっと一ミリもピンと来ないことでしょうね。
わたしは10年前に所属していた靈氣組織を破門になっていますが、そこでの教育では臼井甕男氏は明治天皇信者であり、明治天皇御製を常に奉戴していたとされていました。
そして靈氣実践者もそうあるべきだと。
教育として教わった125首、当時の組織長が現代語訳したその125首は恐縮ながらわたしには一ミリも合意も理解もできないものでした。
そして、そうなってしまうのは己が未熟だからである、という扱いを暗に受けることがありました。

この10年、独自に臼井靈氣を検証、研究し、新たな発展系靈氣を開発。
四年前に上洛し、市内でも最も神社仏閣の多い御所のある町に住みつきました。
その中で「天皇家」というものに対し、関東にいたころとは全く違った見方、学び方をするようになりました。
臼井甕男氏は大正末期に亡くなっています。
大正という時代は10数年しかありませんが、関東大震災や第一次大戦など時代としては大変な激動だったと思うのです。
それがわずか10数年の間に起こった、当時を生きた人たちはどれほどの生存能力を求めらていたのでしょうか。
大正と言えば太宰治等が真っ先に思い浮かびますが、そういう排他的な風情が漂うのも判るような気がするのです。
なぜ大正天皇ではなく、明治天皇だったのか。
一説に言われる明治天皇がお持ちだったとされる「千里眼」故なのか。
その辺は教育の過程で伝えられなかったので判りません。
「親子のように慕っていた」とまでされる明治天皇、奉戴していた御製125首は「精神修養の糧とせよ」と伝えていたとされています。
この辺り、賛否両論あるでしょうね、わたしには理解できるところとできないところがあるのです。

明治天皇と言われて、一番印象に残っているのが戦争が始まる際に「これは自分の意思ではない」ということを示されるために公式の参拝ではない形でされていた、というお話があるところ。
先にご結婚された小室眞子さまもそうでしたが、宮中というところは作法とか形で意を示されます。
それは神道行事も同じ、型や手順には意味がある。
伝統的なものにはすべて、これら型があると思います。
そして、その型を本当に理解し、破るのが型破り。
型の本質を知らぬものが破っていくのは型破りではなく「野放図」です。

本日より三日間、ありがたいことに靈氣伝授が続きます。
11/3に伝授を受ける方は選ばれた方、と親となった師範からは言われて育ちました。
わたしは、わたしのやり方でしか臼井靈氣と向き合えないけれど。
でも、そこで見せて貰える現実は、靈氣にしか起こせない奇跡だと思っています。
わたしがこの京都のかつては宮司が住んでいた町とされる場所に居を構えたこともきっと、靈氣のなにがしかの作用なのだと思っています。

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日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。