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「れいき」のセカンドオピニオンを受け付けています。

別に新たに始めるわけじゃない。
これまでも似たような依頼は幾つもあったし、「れいき」に限らず、相談は持ち込まれてきた。
「臼井式靈氣療法」について書いておくと、今から100年くらい前に京都の鞍馬山で禅僧であった日本人が修行中に体得した療術である。
その僧は岐阜県出身で、名を「臼井甕男」と言った。
故に「臼井式」なのである。
その後、臼井氏は活動開始から4年半でこの世を去り。
林忠次郎という元海軍軍医がそれを引き継ぐ形で世界に広めた。
ハワイにいる弟子の女性に伝授したあたりに第二次世界大戦が勃発。
林氏はこのころ亡くなっている。
Wikipediaはじめとするあちこちでいわれている靈氣の話。
自分が元いた組織で聴いてきた話。
色んな話があるが、臨床現場で実際に起きたことは、いつもそことは違うものだった。
だからかもしれない、いつの頃からか独自論で靈氣を解釈し、使うようになり。
それが元で最初にいた組織を追われることにもなった。
でも、いま思えばその経験があるから、こうして移住してまで京都にこだわるのかもしれない。
靈氣術者には、鞍馬に特別な想いを抱くひとが多いが、わたしがそうなれないのはきっと、臼井靈氣についての不明瞭な点があるから故なのだろう。

2004年、神奈川県湘南でプロの靈氣術者になった。
最初に入門したのは町田にいた師範のところ。
気づけば当時川崎にあった本部に引き取られ、そこで公認講師の頂点まで登る。
そして、それを機に組織と対立し、追われる形でそこを離れた。
311の震災が起きる一月前のことである。
わたしが思う靈氣の世界と、組織が見せた靈氣の世界には開きがあった。
だから、いまもあの選択に後悔はない。
でも、だからなのか、他校で学んだり、他で靈氣療法を受けた人がセカンドオピニオン的に来所するようになった。
わたしがデビューした2004年の湘南は、靈氣は宗教と思われていた認知の低さ。
それは当然で、某手かざしの宗教団体はルーツを辿れば同じ臼井甕男氏の門下生なのだ。
その説明ができるようになったのは、組織を離れたいまから10年くらい前。
でもそのころには湘南にレイキを生業とする人たちが増えはじめ、先人のような顔をされるようになった。
同じころ、その人らとのトラブルに巻き込まれた人が相談に来るようにもなった。

2015年の暮れに京都に移住することを願うようになり。
それから2年かけて2018年の春に二拠点居住の形で上洛してきた。
その年の秋、縁あって京都の靈氣事情を知るきっかけを得た。
そこには、東とは違う靈氣の問題が潜んでいた。
2018年の暮れから靈氣伝授を開始。
京都の遺伝子を持たないわたしが、この地でそれをしていくことには、いろいろな思いが今もある。

世界で数百万人が実践するレイキ。
日本発祥の技法ですよ、と伝えられている霊気。
でも、そこには大きく抜け落ちているものがある。
レイキでも霊気でもなく、靈氣。
そこでしか、できないことがある。
それをわたしは臨床現場から学んできた。
「前の学校で習ってない」「ほかの人と違う」
17年の臨床生活で、そう言われてきた理由が、いまならわかる。
靈氣は、レイキでも、霊気でもないから。
靈氣には靈氣にしか、できないことがあるから。
だから、他校からうちに来た場合、所定の段階は取り直しをして貰う。
そうすることで、初めて靈氣が機能するからだ。
反対に、うちでしか学んでいなくても、使い方が違えば靈氣としては機能しない。
歌に例えるとわかるかもしれない。
「歌える」のと、「上手く歌える」のは、違う。
面白いのは、上手く歌える子ほど技術に自信がなく、そうでない子ほど、何かのせいにしたがること。
技術とは、身につけるもので覚えただけでは意味がない。
だからこそ、臼井甕男氏は道場を開き、稽古の形を取っていたように思う。
でも、そんな話さえ知らない人が指導者になっているケースが多いのは、どうやら東西共通らしい。
「最初からこうだとわかっていれば」
そんな声を聞く度に、この移住には意味があった気がする。

臼井甕男氏は、教授する段階を生徒を見て自ら決めていたという。
わたしは現在そのやり方を踏襲しているが、それは業界では極めて稀なことらしい。
変えていた時期もあるが、結果的に誰のためにもならないことを骨の髄まで知らされた。
この先も、このやり方を変えることはないだろう。
だからこそ、それを承知で入門する子たちは「神の奇跡」を見ているように思う。
身内の命が掛かり、時間的な無理を承知で入門して来た子。
家族を守りたくて、必死な子。
自分の人生を作り替えて行った子。
そんな子たちを見るにつけ、臼井甕男氏がなぜこのルールを頑なに変えなかったのかが、わかる気がする。
中途半端に技術を覚え離れていく子たちには、どうか、彼らがこの先でよき師範に巡り会えますように、と願う。
きっと、靈氣ではなく、レイキや霊気であったなら、才能は開花したかもしれないから。
わたしには、靈氣しか伝えることはできないのだもの。

もうすぐ、臼井靈氣は生誕100年を迎える。
大正時代に日本が生んだ小さな文化の一つである靈氣。
伝承にあまり興味がなかったわたしだが、これだけはきちんと後世に残したいと思うようになった。
京都という街が、そんな風に意識を変えてくれたのかもしれない。
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