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卒業研究Ⅰ 原始的デザインラボ合同ゼミを終えて

こんばんは。はいさんです。

2024年7月16日、福田ゼミと横溝ゼミ合同で卒業研究について語り合いました。
振り返りながら卒研を改めていこうと思います。


そもそも何がやりたいのか

私のやりたいことの根底にあるのは、ACジャパンの活動である。
ACジャパンが発信する広告が好きで、ファンと言っても過言ではない。

公益社団法人 ACジャパン (ADVERTISING COUNCIL JAPAN)

1971年7月7日に設立され、2011年4月1日に公益社団法人化
・公共的事項に関する広告
・公共広告に関する調査および研究
・公共広告に関する広報
・公共活動を行う機関、団体等との連絡および連携
 を事業内容としている。
ACジャパンの活動は、民間の企業・団体が持てる資源を少しずつ出し合い、社会にとって有益なメッセージを広告という形で発信しているCSR(Corporate Social Responsibility)活動である。
(引用:https://www.ad-c.or.jp/about_ac/index.html


ACジャパンのメッセージは私に私を改める機会を何度も与えてくれたように思う。
ACジャパンの広告は価値観や考えを押し付けてこない。その後の行動の選択は見た人に託す。という感じである。
その絶妙な線引きが好きで、その映像、言葉、音にハッとすることが多かった。
見えていたけど見えていなかったモノコト、頭の片隅に置いておいたモノコト、目を逸らしていたモノコトを思い出させ、私に再度考えるよう誘導してくれるものだった。

私はそのような誰かがハッとして、立ち止まって考えるようなものを作りたいと思っていた。

なぜ言葉に注目したのか

大学に入学するまでほぼSNSに触れてこなかった私は、インターネット上の言葉のやり取りに眉を顰めることが多かった。
ネットは多種多様な人と繋がることができる。興味のある分野のコミュニティが形成され、知見や人脈を広げることができる。自身の意見を間接的に他者に伝えることができ、波及性がある。
便利でメリットが多く、すでに手放すことはできない。

だが、炎上という名の誹謗中傷、批判、皮肉…。
簡単な操作で複数の自分(アカウント)を持つことができ、発言や投稿を削除することができる。自分を削除することもできる。
『逃げる』『無かったことにする』ことができるからと言って、ネット上の言葉はあまりに過激ではないだろうか。言われた側の気持ち、言葉の責任を軽視しているとしか思えなかった。

今回の合同ゼミで福田先生が話していた「誹謗中傷する人とは」について調べてみた。

誹謗中傷加害者の5割超「正当な批判・論評と思った」 弁護士ドットコムが調査

弁護士ドットコム株式会社 2022年3月9日プレスリリース

弁護士ドットコムの一般会員1,355名(男性792名、女性551名、その他12名)を対象に、インターネット上の誹謗中傷に関する実態・意識調査を行ったそう。
・誹謗中傷をしたことがあるのは全体の13%(176名)
・誹謗中傷を投稿したソーシャルメディアとしては、匿名掲示板(38.1%)、Twitter(27.3%)、LINE(11.4%)、ニュースメディアのコメント欄(9.1%)と、匿名性の高いメディアに投稿される傾向があるとのこと。
・誹謗中傷の内容については、「容姿や性格、人格に対する悪口」(83.0%)、「虚偽または真偽不明情報を流す」(17.6%)、「プライバシー情報の暴露」(16.5%)、「脅迫」(6.8%)だそう。

そして誹謗中傷を行った動機については、「正当な批判・論評だと思った」(51.1%)、「イライラする感情の発散」(34.1%)、「誹謗中傷の相手方に対する嫌がらせ」(22.7%)、「虚偽または真偽不明の情報を真実だと思いこみ投稿した」(9.1%)とのこと。
そもそも自身の投稿が誹謗中傷だと思わないままに正義感などから投稿してしまう人が多くいること。

「誹謗中傷」という言葉に法的な概念はなく、<誹謗中傷≠権利侵害>とイコールで繋がらないため、仮に不快な投稿等をされたとしても、何もできないという例も少なくないらしい。

ではより法的に厳しく取り締まった方が良いのか、それは自由を狭めることになるということにもなり、うーーん。となる。

人は無意識で話すことがある。
何も考えないで思ったことを発言、文字に起こして、後々考えて「ちょっと言いすぎたなあ」となることがある。
言語を持つ人間特有で、これは誰でも一度は経験したことがあると思う。
特に匿名性のSNSでの発言は、個人を特定されないという安心感が根底にあるのではないだろうか。
じゃあ「個人が特定されるようになればいい」「個人の意見を主張してはいけないのか」となるかもだが、そういうことではなくて、ネット上での発言は誰かを傷つける可能性があるということ。無自覚に思ったことを綴るのではなく、一度手を止めて考えてから綴ってほしい。ということ。
無自覚を自覚してほしい。
最近私無自覚に色々発言していたなあ。ということを自覚してもらいたい。
それはもちろん私も。

ハッとするものってなんだろう

ハッとしたものについて、上記のACジャパンの広告もあるが、2023年秋にプレゼミ活動で訪れた北海道南部の森町にもあった。
偶然見つけ、のちに活動拠点となった子ども食堂の玄関にあったゴミ箱。

ゴミ箱

誰も注目していなかったが、私はこれが目に入った時「久しぶりに見た」と思った。
最近は「可燃性ゴミ」「びん」「カン」など分別の種類のラベルが貼られたゴミ箱しか見ていなく、この感謝の言葉が書かれたゴミ箱が久しく思えた。
このゴミ箱には「ゴミをゴミ箱に捨ててという誘導」と「ゴミを捨ててくれて感謝」が込められている。
これは『ピグマリオン効果』ではないかと言われている。

ピグマリオン効果

教育心理学における心理的行動の一つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。
教師期待効果、ローゼンタール効果などとも呼ばれている。
人間は期待された通りに成果を出す傾向があることの現れとされ、1964年にアメリカ合衆国の教育心理学者ロバート・ローゼンタールによって実験された。

ゴミをゴミ箱に捨てることを期待しているという意味で「ありがとうござます」と書かれている。ゴミを捨てる人は、その期待通りにゴミを捨てようと行動する。
皮肉にしか聞こえないという意見もあったが、私は命令的表現よりも感謝の表現で誘導する点が良いと思った。嫌な気持ちはしないから。

この効果に関して、日本でよく見かける「トイレをきれいに使っていただきありがとうございます」では、こんなものもあった。

<感謝してきた主はトイレ自身>


<ローソン トイレをアートに>

ピグマリオン効果は子どもの成績の向上など教育の現場で使われる。
でも日本はそれをゴミ箱やトイレの使用方法などに応用している。
日本は張り紙が多いらしいが「相手に命令せず遠回しに伝える」という点が私は素敵だと思った。街を歩けばもっと見つかると思う。

人の言葉はどうだろう

上記の言葉はモノに直接書いたり、壁面にアートで表したりしていたが、人から出てきたハッとする・考えさせる言葉はどうだろうか。

以前横溝先生の「めっちゃいいね」のタイポグラフィ化に取り組んだ。
最初は誰が発言したのかわかるようなタイポグラフィを考えていて、横溝先生の口癖だからという理由で取り組んだ。
だがそもそもこの言葉には横溝先生の「まず批判するのではなく肯定する」という人柄が現れた言葉だと思った。私たちはこの言葉に救われることがある。
横溝先生の学生に対する態度が現れた言葉であり、その態度・人柄をタイポグラフィで表そうと実践したが、どの視点からその態度・人柄を捉えタイポグラフィに落とし込むか決めていなかったため、表現するのは難しかった。

合同ゼミでの指摘があったように、タイポグラフィで表現する必要はあるのだろうか。

タイポグラフィとは

文章を印刷するために活字を組版して活版を作る技法のことで、その際に見栄えや視認性を良くするために文字の体裁を整える技芸である。
印刷物の読みやすさである可読性や、視認性、そしてその美しさを得るために、活字の配置・構成やその属性すなわち書体、体の大きさ(ウェイト)、行と行との間隔(レディング)、文字と文字との間隔、印刷紙面上での活字が占める領域の配置・構成(レイアウト)などを設定し、経済的に効率良く印刷物を出版することが初期タイポグラフィであった。
但し、活版印刷だけをタイポグラフィとは言わず、字体の集合であるグリフ及びファミリーが存在している限り、古い文献などから見られる色々なグリフも立派なタイポグラフィーの一部である。活版印刷技術から派生した芸術や、デザイン性もタイポグラフィの一つである。
現在では印刷物に限らず、様々なデザインの中で見ることができる。

言葉だからタイポグラフィで。と進んでしまったが、タイポグラフィではなくても、例えば映像やポスターや立体物など、表現の仕方はたくさんあると思った。
人の発言に関しては、誰がどんなマインドを持って発言したのか伝わる表現にしたい。そのためにはどの視点から見るかを定めなければいけない。

最終的にどうするか

合同ゼミでも言われたが、最終当直地点はまだ定めなくても良い。

自分がやりたいこと。
私たちは無自覚な行動や発言をよくしているということを自覚してもらえるような何かを制作したい。
見たらハッとし、一度立ち止まって考えてしまうようなもの。
こうしなければいけいない。という押し付けをするのではなく、行動や発言にブレーキをかけ、最終決定権を奪わないものを多くの人に知ってもらいたい。そのような言葉を集め、効果的に伝えられるような方法を研究し、制作したい。

多くの人が無自覚な発言や行動、目を逸らしていたモノコトを再認知し、自分を見直す機会になることを目指したい。

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