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卒業研究のかたちづくり

こんばんは。はいさんです。

卒業研究の熱源づくりからはや数ヶ月、様々なことが急速に過ぎ去りました。
元々、社会に潜む素敵な言葉を効果的に演出する方法について研究しようと思っていました。
なのですが、この数ヶ月、様々なことから取り組みたい内容が変わっていきました。


再考の流れ

大学4年生となり、就職活動の情報を収集するためにX(旧Twitter)を再インストールしました。
大学に入学するまでInstagramやTwitterなどネットコミュニティが形成されるようなものに触れてきませんでした。
大学1年生で初めてそれらに触れた時、ネットコミュニティの影、批判や悪口、晒しなどを見て「ネットって本来そういうものじゃなくない?」「なぜ厳しい言葉で表現するのだろう」と思い、触れていたくないと削除しました。

三年たった現在もそれは変わりませんでした。
どんな場所でも人と繋がることができるネットは非常に便利です。便利なものとして生まれたはずです。
ですが、メールアドレスとパスワードだけでいくつもアカウントを作成でき、不確定な情報を元にコメントができる、なにかあればアカウントを削除し雲隠れ、そんなことが横行しています。
「コメントをしてはいけないのか」や「使用するかは個人の自由」など、そのような話ではなくて、特定されないからといって投稿・返信・コメントのその「言葉」の責任、相手はどう思うのかを一度考えなければいけないのでは?という話です。

話は変わり、福岡県で開催されたデザイン学会に参加しました。
多くの人が研究を発表する中、私は発表の仕方による印象の違いに注目していました。

口角を上げて話す人、真顔で淡々と話す人、時折冗談を交えて笑いながら話す人、ダンディーに話す人、終始身振り手振りが多い人…etc
学会は堅苦しいものだと思っていましたが、どんな話し方でもOKで縛りのない感じが良かったです。

また、ゼミの院生であるゆきよさんの発表を聞いていて、人は多数の中から自分が注目されると「嬉しい」「恥ずかしい」と思うものなんだなと思いました。
学会では静寂な空間で自分に人目が集中します。「嬉しい」「恥ずかしい」「緊張する」など、いろいろな感情が混ざっていつもとは違う自分になる人も多いと思いました。

話す時の雰囲気が与える印象、それは様々な出来事や感情によって変わってしまうものだと思います。ですが、ブレない「軸」というものがあるのではないでしょうか。

着地点

誰かが発言した素敵な言葉やネガティブな言葉などを、あの人だ!とわかるように表現する方法はないのか。(タイポグラフィ?)
自分から出た言葉や話し方が、他人にどのような印象・影響を与えるのか、そして自身の言葉に責任を持てていたのかを改めて考える機になる…のではないだろうか。

院生との壁打ちで見つけたこと

そんなことを悶々と考えていて、ゼミの院生方と卒業研究について壁打ちをする機会がありました。
上記のことについて話したら、「一度やってみよう」という流れになりました。

実験 横溝先生の言葉を表現する

横溝先生の口癖『めっちゃいいね!』をタイポグラフィにするとしたら…?
ということで、5分ほどで院生3人と私の4人で実践してみました。


【横溝先生の「めっちゃいいね!」という口癖】、全員聞き慣れていて、聞く音は同じはずなのに、こんなにも表現の仕方に違いがありました。面白いですね。

質感や雰囲気など感じ方や表現は様々でしたが、横溝先生という人柄も考慮したという点は皆同じでした。人を褒める口癖なので、相手に良い印象を与え、言い方も明るく肯定的な表現(イラストなど)で構成されています。ここから、横溝先生がどのような人なのか、人柄・雰囲気・話す時の態度などを読み取ることができます。

人に話し方や印象について直接伝えるのは難しいですし、会話時に自身が相手に与えている印象を自身で把握することは困難です。
可視化することで自身の相手に対する態度や言葉の責任について再確認することができます。
それは自身の肯定や改心につながるのではないでしょうか。

今後の研究

・ゼミの方々の言葉や口癖などをリサーチし、表現してみる。
(ただし、事前に相手にリサーチすることを伝えてしまうと恥ずかしさや緊張から普段の態度をとらない可能性があるので、リサーチすることを伝えない)

・横溝先生の授業や院生の研究フィールドでリサーチし、表現してみる。
(ゼミというアットホームな環境と授業という大勢の人がいる環境での人々の発言の違いをリサーチする)

・他の先生の授業に参加し、先生方の発言をリサーチする。

・表現方法について知見を広める。
(美術館・本・インターネットなどでリサーチする)


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