一人でおるときとそれ以外(渡部)

みなさま

 毎日毎日、冷たい弁当を食べ、健康の為に筋トレをし、22時くらいに就寝し、7時に起きて検温して報告し、業務時間中は業務用スマートフォンをモニターに繋げて待機し、休日はとにかく読書したりYouTubeを観て時間を潰し、、を繰り返していました。
 4月23日の朝、久しぶりに寮を出て、桜の木がある公園の横を通り過ぎると、4月9日時点ではまだ少し残っていた桜の花が全て散り青々と葉っぱを繁らせていました。もしタイムスリップしたらこんな気持ちだろうと思いました。

 圭ちゃんのこれは、ほんまに味わわへんとわからへんよな。2週間買い物にも出られへんのは未知。最近、自分もコロナ慣れ? コロナ疲れ? なのかよくわからんけど、「自分は大丈夫なんじゃないか」くらいの気持ちになってきてる気がします。緩んでる。でも、この「自分は大丈夫」ってまったく根拠がなくて、うっすい壁を隔てたすぐ隣に感染とか、濃厚接触者っていう存在(もしかしたらすでに、かもしれへんし、無症状なだけかもしれへんし)がいるはずなので、完全に油断してるんだと思います。予防しようしようと思い過ぎたら強迫的にもなるし、でも油断もあかんねやろなあと思う。結局、結果論でしかないから、感染したらもちろん後悔はするんやろうけど、かといって原因も特定できへんから後悔も所詮は多少やろうし、もし感染せずに終わることができても「よくやったな自分」とは思えへんねんやろうなあ。たまたまやろ、みたいなふうで終わりそう。

 久々に現世に帰ってきて、外界との関わり方がわからなくなるってのも、笑ってしまいました。そういうのがあんのね。そこから開き直って、隔離生活に近い生活をいまもしているって、なんで。でも、そこから新しい感覚にも出会ったみたいで。

 自分の中に知らずしらずの内に「人間は外へ出て何かしないといけない」という思い込みが発生していたような気がします。この思い込みによって、自分がやりたいこと、やりたい休日の過ごし方、生きたい人生が微妙に歪んでいたような気さえしています。

 これさ、むずかしいやんな。自分もけっこう共感しちゃうというか。「なんで働くの?」って問いにもつながってきそう。まあ、働くのはお金を得るためやとして、あとはなんで外に出るのか。やっぱり他人と関わるためか。前にも書いたけど、他人と関わることは自分を知ることにもなると思うから大切っちゃ大切やと思うけど、一方で、家にひきこもっていても誰かを想うことはできるよなあ、って思ってる。

 これお二人にもあるかどうかわからへんけどさ、誰かと会うとか、最近やとZOOMとかでおしゃべりしようってなったときに、事前に「今回こんな話したいな」とか「誰々にこれ伝えときたいな」って思ったことでも、実際に始まると言えへんってことありません? 恥ずかしさで言えへんってこともあるけど、それよりももっとささいな感情で。いまはタイミングじゃねえなって思ったり、なんかあらためて考えてみたらこれ別に伝える必要ないかなって思ったり。これって、話したい、とか話したくない、よりももっと素朴な感情なんちゃうかな。

 伝えよう伝えようって思っていたときは一人で考えているときで、でも実際に会って一人じゃなくなると、その気持ちが萎んじゃうことがある。これはどっちが正しいとか正しくないとかではないけど、でも私は前者の気持ちのほうが、どっちかと言うと本当だと思うんですよね。どっちかと言うと、ですけど。

 書いてる途中から「男はつらいよ」30作の寅さんの台詞を思い出したので引用します。というか、これにインスパイアされてる部分は間違いなく大きいな。

「あいつがしゃべれねえーてのは、あんたに惚れてるからなんだよ。今度あの子に会ったら、こんな話しよう、あんな話もしよう、そう思ってウチを出るんだよ。いざその子の前に座ると、ぜーんぶ忘れちゃうんだね。で、馬鹿みてーに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿がなさけなくって、こう、涙がこぼれそうになるんだよ。な、女に惚れてる男の気持ちって、そういうもんなんだぞ」

 これで言うと、「こんな話しよう、あんな話もしよう」って思ってるときが本当なんじゃないかってことかな。こっちのほうが人間の美しい瞬間やし、たとえ結果的に言えへんくってもその気持ちに嘘はないよね、みたいに思ってる。

 だから、ひきこもっているときに考えてることも、それなりに尊いはずだと思うんですよ。誰かに会わへんと、自分のこともおぼろげにしかわからへんのはあると思うし、自分が誰に対して何をできるんかもわからへんけど、一人であっても、それなりにちゃんとひとのことを考えることはできる。圭ちゃんの言うてた「やりたいこと、やりたい過ごし方、生きたい人生」とかについても、一人でいるときのほうが鮮明に見えてくると思う。

 あと、子どもの世界(最近は大人の世界でもあったけど)のいじめもそういう力学が働いてるんちゃうかな。一人でいるときは、いじめられっ子Aくんとも仲良くやりたい。でも、いじめっ子たちみんながいる前では、Aくんと仲良くしゃべってる姿なんて見せられない。見せたら「お前も仲間か」って思われていじめられるかもしれない。こういう気持ちは自分にもあったことはあるし、誰かを見ていて「あ、いまそういう気持ちが働いてるな〜」って思ったこともある。一人に戻ったときの罪悪感とかは少なからずあって、でも結局あんま見ーひんようにしちゃうんですよね。これ、書いていても辛いけど、当時の自分も絶対辛かったやろうなあ。

 これを考えると、一人でいるときの自分もちゃんと自分やから! って言ってあげたくなる。申し訳ないな、でも今日も何もできへんかったな、と思うだけでも、最悪いい。もちろんいじめっ子たちに抗えたらええけどさ、そういう後悔を積み重ねてったら、いつか動ける日が来るんかもしれへんし。それにしてもいじめって、人生の初期で感じる最も大きな恐怖であり、無力感な気がするなあ。ほんまに、距離がとれてるいまはいいけど、当時はほんましんどかった。自分の世界が終わるみたいに。自分はずっとここにいるのか、みたいな気持ちやった。

 いじめほどでもないけど、悪ノリとかも大人数でおるときにしちゃうもんなあ。昔よりかは減ったけど、いまもあの後悔は時々しています。悪ノリというか、みんなでおるときはその場のノリで適当に誰かをいじったり、適当に返事しちゃったりとか。

 なんか、一人でおるときとそうでないときの違い、後悔とかについていろいろ話しちゃったけど、みなさんもそういうのありますか? そんなにあれへんかったらどうしよう。恥ずかしい。

 そんなわけで、とにかく私は一人でおることも尊いはずやと思ってます。みんなと一緒におる時間から一人に帰ってきて、いろいろ思うのよ。後悔したり、ああ、やっぱりたまにはひとと話したいなってあらためて感謝したり。どっちもあってこそな感じはあるけど、一人でいる時間が多いひとは感覚が鋭いひとが多い気がする。一人で過ごすその過ごし方もいろいろやろうけどさ、そんな気がする。なので圭ちゃんが今回のいろいろで感じたことは、共感しておりました。

 しんどいけど頑張ろうって人に関わろうとしたりするんですけど、そうやって頑張ってるうちに、1人でいることのしんどさを忘れてしまうんですよね。というか人と関わるしんどさばかりが焦点化されてしまう。だから「もう嫌だ人と関わりたくない」になっちゃう。

 たくみの話は、けっこうここに尽きるのでは? と思ったりしました。一人でいることも誰かといることも、どっちも大変な部分はあるんちゃうかな、自分も意外と、予想してなかった寂しさみたいな複雑な感情に出会ったし、この期間。無力感があるのって、仕事してるとき? それとも仕事以外のときも?

 伝えるための言葉、の話は、私もちょっと前に上司から同じようなこと言われたな。他人のことを信頼してないんじゃないか、的な。ひとと話すことは好きなんですけど、ほんまに意見を交わしていったあとにおたがいがどうなるのか、どう変わっていくのか、とかそのあたりに対して、妙に冷めてるのかなあと思ってます。昔はたぶんそんなことあれへんくって逆やったと思うから、そこはたくみと同じくいい塩梅がわからずなんやと思う。

 というかあれかな、考えて思ったけど、自分は関係性を強引に変えていくとか進めていくっていうことにあまり興味がなくなったのかもしれません。おたがいの性格とか趣味とか? がうまい具合にマッチすればいいけど、マッチしなくてもいい。それでも一緒にいる時間は楽しく過ごせたらいいよね、と考えてる。

 昔は、いかに仲良くなるか? についてよく考えとってんけど、いまはたぶんそれよりも、仲良くなれたらいいけど、仲良くなれなさそうなひととどううまく関わっていくか、みたいなことに興味がある。いろんなひとがおるってことに感謝しながら、驚きながら生活とか仕事とかしていけたら幸せやろうなあ、と思ってる。

 このあたりのことが表現が下手で、冷めてるように思われるかも、と思ってます。これって信頼してへんのかなーどうなんかなー、って感じ。自分でもまだよくわかりません。

 今日新聞を読んでいて、この自粛期間に新しいことを、みたいな内容の記事があって、歌を詠むことをやってみてる小学生の兄妹が取り上げられてました。「歌を作るには?」っていう部分に対して、日々の感じたこと、思ったことを題材に、っていう、あとから考えたらめちゃくちゃ当たり前のことやと思うねんけど、そう言っていたのを読んで「そうやんな、短歌を作るために何かをひねり出すんじゃなくて、日々のあったことをかたちにして表現するために歌を作るんやんな」って思いました。ここで書いてるような文章も同じで、そういうもんやんなって思って、忘れないようにせーへんとなと思いました。無理にかたちにしようとするんじゃなくて、書きたいことがあるから書くんですよ。なので、書きたいことに迷う時期ではありますが、のんびり迷ってやっていきましょうね。

                               渡部 

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