日常の続かなさについて(渡部)

みなさま

 昨日、職場でふと思ったことについて書きます。

 うちの施設には居場所と呼んでいるフリースペースがあって、居場所支援と相談支援の2つを主な支援として運営しています。フリースペースは文字通り自由に来ていい場所。何曜日に来ないといけない、週何日来ないといけない、という場所ではありません。

 そこに通っているひとたちは、遅かれ早かれなんらかのかたちで少しずつ顔見知りになっていくと予想されます。ヘビーユーザーのひとであればなおさら。半日しか開いていないため、けっこうはやめの時間に来る方が多いです。だいたい、1日2時間以上は過ごしている方が多いんちゃうかな。

 そこで、いまはコロナ対策で過ごし方や通える日数は実質制限されてしまっているところが大きいけれども、前までは一緒にゲームをしたり、雑談したりしてかなり密に過ごしてきたわけです。その中で、いろんなコミュニティと同じく、気の合うひとたちとそうでないひとたちが出てくる。でも、初めて来たひとが居場所全体を覗いてみたら、一部を除いて、ちょっとよそよそしい雰囲気を感じるのではないか、というのが私見です。

 もちろん、コロナ前まで毎日かそれに近いくらいの頻度で来ていたようなひとたち同士であれば、ちゃんと関係性が積み重なっていくんです。でも、ほとんどのひとたちにとっては毎日のように「初対面」が続く。コップに水を注ぐみたいに人間関係が発展していくとしたら、水があふれるまでにかなり時間がかかる。

 これ、なんなんでしょう? と昨日、ふと思いました。先日、居場所で「○○です、こんにちは」とあいさつを交わした関係が、「あ、○○くんじゃん、元気?」になかなかならないんです。書いてて思ったけど、そもそも名前を呼び合う文化があまりない。先ほど「一部を除いて」って書いたような、ほんまに親しくなった人たちの間だけ。「○○くん、最近どう?」みたいな相手のプライベートに入り込んでいくような会話はもってのほか。

 この、途切れていく日常みたいなものの正体が気になりました。できれば、みなさんのお知恵を拝借したいです。

 相手に入り込まない、というのはなんとなくわかります。いろんな対人距離感を持っているひとたちがいて、その距離感に人一倍繊細なひとたちが集まっていると考えると、そこで相手のプライベートに入っていって冒険する必要はまったくない。そこはわかる。でも、この「続かなさ」はいったいなんなんでしょう。

 これ、時間の短さ、というのもあると思うけど、それだけじゃない気がする。ひととがっつり出会おうと思ったら、2時間や3時間じゃ仲よくなれる気は確かにせーへん。半日くらいは一緒にいて、やっと次会ったときにも「○○くん久しぶり~!」になれる気がする。でもそれだけじゃなくて、やっぱり仮面みたいなものを使ってるんかな、と思いました。うちの施設に来ている間は、うちの施設の仮面をそれぞれが被ってくる。本来の自分じゃない、本来の相手じゃないから「知り合った」感が乏しい。本来の相手じゃないから、質問もしづらい。質問がしづらいから、本来の相手にも出会えない。本来の自分も伝えられない。

 その逆に、ちゃんと積み重なっていく関係、続いていく関係、というのがどういうものなのか、みんなにも訊いてみたいです。そういう関係が、どういう条件のもとに作られるのか。それができないときは、どういう環境なのか。

 良し悪しとかでは決してなく。時間とか過ごし方はこのコロナの状況を考えるとどうしようもないけど、もし先ほど書いた仮面っていうものがもしほんまにあるのであれば、その仮面をどうすればナチュラルに脱いでもらえるのか。仮面って力んで脱ぐもんじゃなくて、自分でも思いがけなく本来の自分が出てくる瞬間とか、本来の自分が降りてくる瞬間があるんちゃうかな、と私は思います。そういう瞬間が、どういうときなのか知りたい。そういうきっかけ作りができるのであれば、やれるようになりたいし、そういう存在になりたいな。

 利用者のひとたち同士で会話が始まるような場所であってほしいな、と思うのですが、なかなかそうではないというのが現状で、それを実現するのはもちろん簡単ではないやろうけど、自分はもっと身近なものを見落としてるんちゃうか、といきなり不安になりました。そうはならないだろうと思っていたり、自分としてもそんなことできるんかな、と不安になってしまってる心の持ちようを変えるべきなのか、とも思う。

 絶対、できなくはないと思うんですよ、利用者さんたち同士で会話が始まる居場所。そういう雰囲気、しかけ作り。みなさんにも教えてもらえると嬉しいです。

                              渡部

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