「壁を取っ払ったな」という瞬間(森)
しゅんぺい、けいちゃん
ツボの話。
僕は「友達」という人間関係にずっと憧れを持っているというか、友達欲しいなーというか、友達と一緒にいる時間が好きです。これはもう昔っからそう。小学生くらいからずっと友達欲しいって思ってました。
で、僕にとってのこの「友達」の本質は、本音よりむしろ「自然体」にあるなと、この前やった自己分析とか踏まえると思いました。
実は会話の内容もそんなに関係ないような気もしてます。馬鹿話でもいいし、真面目な話でもいい。ただお互いが自然体かどうか、取り繕ってないか、何かを隠そうとしていないか。逆にいうと、馬鹿話でも真面目話でも、この自然体さが見えないと、なんか緊張してしまうというか。
だから相手の自然体さが見えると、グッときますね。結構自分の思ってることズケズケいうような人にもグッとくる。最初は緊張して「この人あんま得意じゃないな」とか思ってても、その人の自然体が見えれば大体仲良くなれる、気がする。仲良くなったから自然体になれた、かも知んないけど。
なんかあれだな、うまく思いつかないな。
あーでもなびくって意味なら、「困ってるから助けて欲しい」って言われたら助けたくなるかな、とか?「こんな面白いことがあるから一緒にやろうよ!」よりも、よっぽどその人と一緒に何かやりたくなるかな。
褒められる、ってのも嬉しいけど、最近は人に褒められてもあんまり信用しなくなってきたなぁという気がする。特に会社とかでは。褒めることで俺を特定の方向に動かそうとしているのではないか感を、ふと考えちゃうなー。
喧嘩とか対立はすっごく嫌ですね。極力したくないし見たくない。
「困ってるから助けて欲しい」って言われるのはツボ?と言ったけど、甘えられるのは嫌いです。これも自己分析でわかったこと。甘えと頼るの境目がよくわかんないけど。
あと結構、目的が明確なのも好きですね。「それってなんの話?それがなんのためになるの?」なんて思う話に辟易することも多いなぁと思う。多分意味がわからないのが気持ち悪いんだと思う。
こんな感じですね。でもやっぱ自然体です。何回か相手と話をしてると、ふと「あ、今この人肩の力抜けたな」というか、「壁を取っ払ったな」という瞬間がある。その人が出てきた、という感覚がある。これがあると、俺もとっても楽になるかなー。
どうでしょう?質問の答えになってます?
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