情報発信とは、誰かの時間をもらうこと
毎日書き続けて、少しずつ読んでくれる人が増えて、思うことがある。それは、誰かの日常に自分の日常を差し込むということは、つまり誰かの時間をもらうということなんだと。
もう少し詳しくいうなら、誰かの時間をもらうということは、そこには責任が生じるんじゃないだろうか?
なんの責任か?時間をもらう=時間を奪うからには、その価値にあった〝なにか〟を提供しなければいけない責任だ。
例えば、公共放送の場合。電波に乗せてあまねく視聴者に届けるからには、公共性や公益性が必要になるだろう。
コメディやバラエティ的なおもしろさや、ドキュメンタリー的な知識や問いかけなど、公益性にも色々ある。
でも、書いていくうちにちょっとでも誰かの役に立ちたいな、と思うようになった。
お金なら感じるのに時間なら感じない?
もしも、読んでくれる人がみんな10円ずつ課金して読んでくれているとしたらどうだろうか?
そこには意味のない日報や、笑えない冗談などでとりあえずスペースを埋めるようなモノは書かないハズだ。
では、これが0円であれば無意味なものでもいいのか?読み終わるのに3分〜5分かかるとして、その時間の価値は本当に0円なのだろうか?
5分使って読んでくれる人が1000人いるとしたら、単純計算で5000分だ。これは約83時間になる。
時給1000円なら8万3000円!ヤバい。その価値が出せているかは正直自信がない。。。
ちなみに10円ずつ1000人にもらうと1万円なので、計算的には5分ずつもらう方が価値は重い気がしている。いずれにしろそれなりの重さだ。
金銭で10円ずつ読者全員からもらえば感じるであろう責任を、5分という時間だったら感じないのはおかしい気もする。どう考えても誰かの5分は10円より価値があるはずなのに。
矜持と言ったら少々言い過ぎかもしれないが、こういう想像力を持つことが、誰かに書いたものを読んでもらう上では大事なんじゃないだろうか?
そして書くたび思うのです。今日も有限で大切なあなたの数分間を使ってくれてありがとうございます、と。
だいじな時間に見合うくらい、役に立てたり、気づきがあったり、クスッと笑えたり、悩みを一緒に考えたり、そんなポジティブな情報発信をしていきたいなと思ってます。
それでは、また明日!
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