地域療育の歴史を少し(4)
続いて2000年代の地域療育を振り返ってみましょう。戦後50年にわたり,日本の障害者福祉の根幹を支えてきた措置制度(国が措置するので原則無償)は,契約制度へと大きく舵をきることになります。
2000年6月,「社会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を改正する等の法律」が成立します。これによって,2003年4月から,障害者の自己決定を尊重し,利用者本位のサービスを提供しようとする新たな仕組みが導入されることになりました。いわゆる,支援費制度です。
支援費制度は,障害者が事業者との対等な関係に基づき,障害者(あるいは保護者)自らがサービスを選択し,契約によりサービスを利用する仕組みとなっていました。同時に,支援費支給事務は,援護の実施者とされた市町村に移行しました。国が経済面で支え,都道府県が責任を担ってきた児童福祉制度は,突然,基礎自治体に投げられることになりました。
私たち臨床で働く者たちは,たいへん心配になったことを憶えています。理念はわかりました。支援を拡充していくためには民間の力を導入し,競争原理も取り入れて,質の向上を目指していくことも必要かもしれません(実際は,外食産業に見られるように,ローコスト化,低賃金化,メニューの画一化,企業化が進みました)。しかし,それまで丁寧に積み重ねた地域療育の知見,人材,システムは,果たして維持できるのだろうか。私たちは,気を引き締めて連携を図りました。
かつては無償だったものに,利用者負担が生じてしまう。経済格差によって,必要な親子が療育から遠のいてしまうのではないか。また,個人が自分で選択し決定することや,その結果について責任を負うという契約の仕組みに,乳幼児の発達支援はなじまないのではないか。契約者と利用者が対等の立場というのは理想ではあるが,現実はそうなっていないのではないか。コストの関係も影響し,地域療育は,給食の提供をどんどん断念していきました。
これは,児童福祉,地域療育の大転換といえる制度変更でした。2000年4月に実施された介護保険が,新自由主義経済観に基づいた契約制度の嚆矢でしたが,福祉分野にもその改革を進めようという意図でした(現在進行中です)。憶えていらっしゃるでしょうか?「聖域なき構造改革(誰もが財政負担を)」の時期でした。
ただ,支援費制度の導入には,混乱が生じないように100億超円という国庫補助所要額が当てられており(まだ国民への「思いやり」が生きていた時代でした),比較的混乱なくスタートしました。自治体単位の支援になったため,手続きなどには混乱が生じましたが,地域療育のなかった自治体は急拵えで療育を開始します(離島や僻地など近隣に療育が通えない自治体が頑張って療育を立ち上げました。私は,第3次地域療育ブームと呼んでいます)。親の会も積極的に活動を行い,サービス利用量は順調に伸びていきました。そして,あっという間に財源不足に陥りました。支援費制度は「聖域なき構造改革」の対象になり,厚労省の要だった人たちは責任を問われました’(厚労省受難の時代の幕開けです)。そして,2006年4月の障害者自立支援法が成立します(続く)。
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