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地域療育の歴史を少し(3)

 障害者プランは、1995年に政府の障害者対策推進本部が策定し、ノーマライゼーション7か年戦略とも呼ばれています。高齢者福祉のゴールドプラン・子育て支援のエンゼルプランとあわせて日本の保健福祉施策の福祉3プランといわれています。

共生社会は、人間と人間との共生だけでなく、自然との共生も視野に入っています。

 障害者プランは、ノーマライゼーションとリハビリテーションの理念に基づき、障害者対策の重点的な推進を図るものでした。地域生活のためのグループホームの推進、障害者の社会的自立に向けた障害特性に応じた教育体制の確保、教育・雇用・福祉の連携、社会のバリアフリー化、防犯防災関連の整備など、あらためて数値で目標を定めて取り組むことになりました。

 また、プランは、市町村という自治体単位で、障害者との交流を図ることにより、障害や障害者についての理解を深め、差別や偏見を助長するような用語の見直しも盛り込まれました。これには、障害者運動の広まりや、各地の障害者、家族、支援者が一斉に声をあげたことが後押しになりました。障害児・者支援は、一部の特別な人たちへの施しではなく、すべての市民の生活に不可欠な「生活基盤」として確保し改善すべき公的な取り組みなのです。

 プランは、2002年までに達成すべき数値目標を含んでいました。地域療育に関しては、「障害児の地域療育体制の整備」として、当時300か所前後だった通園を、1300か所にまで拡張整備することになりました。また、「全都道府県域において、障害児療育の拠点となる施設の機能を充実する」ことになりました。

 国は、通園事業を地域療育の担い手として位置づけることにしたので、それまでの「心身障害児通園事業」を平均利用児数5人以下の小規模事業でも開設できるよう制度化しました。このように、1972年から始まった通園事業がついに見直しされる時期に来たのが1996年でした。

 改正による制度変更は、次の特徴があげられます。

①実施主体:市町村(国が年額1000万円程度の補助金を支給していたが、利用人数実績によって補助金額のランク付けを導入)。
③対象児童:通園による指導になじむ障害のある幼児。
④利用人員:20名規模から概ね5名以上
⑤施設:独立した障害対応できる指導室やトイレ→保育室の空き室の利用可
⑤職員:適切な指導力をもつ職員(実質は保育士)が15対2

厚生省児童家庭局通知 平八児発四九五

 現在の私たちが押さえておくべき点は、この基準緩和が施設の増加というプラスを生んだこと、そして、同時に、各自治体にその充実が委ねられてしまったので、施設間の格差や地域間の格差をも生むというマイナス要因となったことです。通園事業の歴史は、後に概ねこの方向で進むことになります。

 もう一つ理解しておきたいのは地域療育の原点です

①通園事業は、三種別の施設療育の補完(地域療育)として誕生した。施設療育や地域療育センター、重心通園がなければ、通園の唯一の選択肢となる。
②通園する際には、診断や判定は不要であった
③契約制度ではなく措置制度だったため、自己負担は全くなかった
④乳幼児健診後の「気になる段階」からのフォロー(ゼロ歳児、1歳児)が認められていた。だから親子通園を基本としていた。

Office Reborn資料 2022

 このように90年代の通園事業は、交通の不便な地域でも離島でも、身近なところで通えることを目指しました。地域療育は、乳幼児期に人間らしい生活リズムを獲得し、生活の基本となる力を獲得するのに欠くべきものです。地域に住む想いのある方々(当事者、家族、支援者、行政の方々)で力を合わせて、手作りで療育を立ち上げていった姿に心から感銘を受けたものです(続く)。


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