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モモ&坂本サトル インタビュー(前編):モモ20周年ライブ「MUSIC DINNER」ライブを終えて

2003年4月2日に3人組ユニット「Pigeon’s Milk」(ピジョンズミルク)のボーカルとして徳間ジャパンよりメジャーデビュー。2009年からソロとなり、2012年に生まれ故郷の青森県三沢市に活動拠点を移し、音楽活動やラジオ、CM出演などを行うシンダーソングライター、モモ
2019年には祖母の代から続く飲食店を引き継ぎ、ワイン居酒屋『Momo's Izakaya 福』のオーナーシェフとしても活躍している。
そんなモモのデビュー20周年を記念したホールコンサート「MUSIC DINNER」(ミュージックディナー)が、2024年3月30日、地元である三沢市公会堂小ホールで開催された。チケット250枚は公演日の一週間前に完売し、ライブは満員・大盛況のなか幕を閉じた。
音楽と飲食業に情熱を注ぐ彼女自身を表すかのようなライブタイトルは、モモの活動コンセプトにもなっている。
今回、このライブの制作を担当したのが、2012年に青森市に拠点を移し、自身の音楽活動やアーティスト・プロデュースを行う坂本サトルが主宰する OFFICE mode key(オフィスモードキー)だ。
サトルはライブ当日のバックバンドのバンドマスターを務めたほか、ライブのコーディネートや舞台制作まですべてを担い、アニバーサリーライブを成功へと導いた。
モモとサトルは、エフエム青森のラジオ番組「坂本サトル ミリオンレディオ」で2015年以来の共演者であり、その2015年にはサトルがモモのアルバムをプロデュースするなど、つき合いの長い2人ではあったが、今回のライブでは改めて青森県在住のミュージシャン同士としてタッグを組んだ形となる。

ライブ翌日の3月31日、大きなライブを終えたばかりであるにもかかわらず、『Momo's Izakaya 福』の店を開け、ランチイベント「アフターライブランチ」を行ったモモ。
当編集部では「アフターライブランチ」終了後、モモとサトルにインタビューを敢行。ライブ終演直後の感想や、サトルがプロデューサーとして取り組んだライブの裏側、これからの展望などについて、じっくりと聞いた。

前・中・後の3部構成となるこのインタビュー、まず前編ではライブを終えたふたりの率直な感想や、ライブ日程が決まるまでの過程、そしてリハーサル期間中にバンドメンバーの全ての賄いを担当したモモの食事作りにかける思いなどについてお届けする。 

【Interview data】
インタビュー場所 / Momo's Izakaya 福
インタビュー日時 / 2024年3月31日(日) 15:00
聞き手・構成 / OFFICE mode key 編集部

【Live data】
モモデビュー20周年記念ライブ
「MUSIC DINNER」

*日程:2024年3月30日(土)
*会場:三沢市公会堂小ホール
*時間:open 16:00 / start 17:00
*料金:前売全席自由 ¥4,500
*出演:モモ、坂本サトル band、ライスボール、宗一郎(ex. Pigeon’s Milk)
*会場住所:青森県三沢市桜町1丁目6-35(三沢市役所前)

【出演】
モモ(vocal)
坂本サトル(guitar, chorus, percussion, manipulate)
佐藤達哉(keyboard)
坂本昌人 from JIGGER'S SON(bass)
鈴木慎也 from JIGGER'S SON(drums)
山口克彦(guitar)
鹿嶋静(violin)
ライスボール(guest)
宗一郎(ex.Pigeon’s Milk)

■モモのブログに、「MUSIC DINNER」のセットリストや当日の様子、写真が掲載されている。ぜひこのインタビューと併せてご覧いただき、ライブの詳細とその裏側を楽しんでほしい。


こんなに表現力豊かな素晴らしいボーカリストなんだって、改めて分かった

ー 昨日の20周年ライブを終えられて、率直な感想を聞かせてください。

モモ これだけ大きいライブが10年ぶりなので、ものすごく気合が入っていたんだけれど、ちょっと力のペース配分を間違えたなって思いました。個人的にはね。

サトル どういうペース配分?

モモ 初日のリハーサルが一番絶好調だったの(笑)。そこからどんどん疲れていって、最後は意地で歌っていて…。だけど、今まで長年いろんな経験をしてきたから、ちょっと体調がやばい時とか疲れている時でも、声の出し方とかである程度のクオリティはキープできるって自信はあったから、なんとかうまくできたかなって思う。あとはお客さんの反応がほんとに温かかったから、始まったとたんにもう、イェーイ!大成功!みたいな気持ちで歌ってました。
「ペース配分をもうちょっとしっかりできてたら完璧なのに!このやろう!」みたいな気持ちはあった。だけど全体的には、とってもいいライブができたと思いました。幸せでした。

ー サトルさんはいかがでしたか?

サトル 正直、当日はモモちゃんの後ろで演奏していたから、モモちゃんがどういう顔して歌っているか全然見えなかったからね。後ろで聴いてて、あ、今日はちゃんと声出てるな、ぐらいは思ってたけど。
演奏も…まぁいろいろ事故はあったんだけども(笑)、バンドの完成度としては昨日が一番高かったからさ。演者側としては、ちゃんとやれたなって感じはあったんだけど。
ライブ後の打ち上げで、収録したライブ映像を見て、「モモちゃんこんなに良い顔して歌ってたんだ!」って、初めて気がついて。リハーサルの時も俺たちに背中向けて歌っていたからね。「こんなに表現力豊かで素晴らしいボーカリストなんだ!」って、改めて分かったっていう。

ー ライブ全体としても成功というか、満足いく内容でしたか?

サトル そうね。今回は、俺は演者側と制作側っていうふたつの役割があったから、さっきまでの話は演者側としてのもの。
制作に関しては、OFFICE mode key の初の外部公演、JIGGER'S SONも含めた俺以外のアーティストを担当する初めてのライブというところで、まずは会社としても成功させないとっていうプレッシャーが大きかった。
あとは、モモちゃんは所属事務所もレーベルも俺のとこ(OFFICE mode key / MODE KEY RECORDS)に正式に移籍してきたわけなので、彼女の歌い手としてのポジション、ブランドをきっちり作りたいっていうのもあった。
今回、サポートメンバーと一緒に3日間リハやったんだけど、これだけ作り込んでおくと、次からはリハが2日とか1日で済む。やりやすくなるわけです。だから今回は今後のためにも少し無理してでもクオリティの高いものを作るっていうのが、制作側としての一番大きいテーマでしたね。
経費的にはね、まぁ、あのライブの規模感としては、かなりお金をかけ過ぎてるのね。だけど、その意味があるライブだった。
それでも、今回は地元の三沢の人たちのサポートがすごくいっぱいあって、例えば、アルバイトを10人雇わなきゃいけなかったところが、モモちゃんの友達やお店の常連さんがたくさん来て手伝ってくれて、そこらへんの経費はゼロだった。だから、ぶっちゃけかなりの赤字ライブではあったけど、本来あの規模でやろうとしたらもっと赤字が出たはず。
あの規模のライブは、チケット代4500円とかじゃほんとはできないんだよね。7000円くらいに設定しないと。だから最初に俺からモモちゃんに、チケット代はせめて5000円でいきたいって言ったんだけど、その価格でやったことないって言うから。でも今は5000円でも良かったって思わない?

モモ これからはいいかもしれないですね。

ちゃんとモモちゃんがリーダーだった


― 時系列がさかのぼるのですが、2023年4月にモモさんがデビュー20周年を迎えて、ラジオなどで「何かやらないとな」というお話はされていましたが、OFFICE mode key 制作で三沢市公会堂でホールコンサートを開催するというお話は、いつくらいに決まって、どうやって進んでいったのでしょうか。

モモ 2023年秋ごろに、私がOFFICE mode keyに所属することが決まって。でもそのずっと前から、サトルさんから「20周年はなにかやらなきゃね」っていうのは言われていたし、サトルさんプロデュースで次の音源を出すって話も進んでいて。
だから早い段階から「20周年ライブをやろう、やるなら三沢市公会堂だよね」っていう話はしてたんだけど、じゃあ、いつにする?っていいながら時間が過ぎてしまって…。結局20周年ギリギリの、あと2日でデビュー21周年っていう日程になってしまったんですけど(笑)。

サトル ライブ日程については、サポートメンバーとの調整があったからね。坂本サトルバンドでサポートするっていうのは決まっていたから。
これはいつも俺のネックでもあるんだけど、マット(坂本昌人、bass。サトルの実弟。実家のりんご農家を継いでいる)のスケジュール調整が難航したんだよね。
2023年の10月ごろに会場を押さえようってことになって、マットが参加できる時期を考えたら、(りんごの収穫時期の関係で)まず年内は無理だと。年明けもモモちゃんが「1月2月は雪があるから遠くから来る人が困るだろう」って。で、もう4月2日でデビュー21周年になっちゃうから、ギリギリ3月だなってなった。
それでバンドメンバーの3月のスケジュールの調整が始まったわけだけど、どうしても達哉さん(佐藤達哉、keyboard)とマットの日程が合わない。
それで、俺は今回のライブの肝(キモ)は、達哉さんだと思ってたのね。達哉さんはモモちゃんのレコーディングにも参加してるし、ここ最近はモモちゃんとちょくちょく一緒にライブもやってる。それをイチから違うピアニストがやるのはかなり大変だと。
だから、マットか達哉さんかって究極の選択を迫られた時に、結局「達哉さんだな」って。それで達哉さんのスケジュールを優先して、3月30日開催にしたんですよ。残念だけどマットは今回はごめんなさいだなって。
でも、2月の中旬くらいまで、マットが「いや、やれるかも…しれない…」とか悩んでてさ。3月の後半ってりんご農家は実は繁忙期なんだよね。剪定っていう重要な作業の総仕上げの時期で。それも理解してるからこっちはもう、別のベーシスト押さえようって事で、マットに「もうタイムリミットだ。この人にサポートを頼もうと思う」って具体的なプレイヤーをあげて提案しても「うーん…」とか言って「出来ない」とは言わないわけ。なんだよ、どうしたらいんだよ俺たちは!みたいな状況で(笑)。そしたら3月になって急に、やれる!ってなった。
マットは、モモちゃんのライブ、本当にやりたかったんだよね。だから、相当無理してスケジュールOKにしてくれたんだよ。

ー ベストなメンバーで、なんとか20周年に間に合わせてライブが実現できたんですね。

サトル そう。ヴァイオリンの鹿嶋静もね。制作費ないんだけど、どうしても静にその場にいて欲しい。サトルバンドのメンバーだし昔からモモちゃんとも仲良かったしね。「バイオリン弾かなくても良いから(笑)、とにかくステージにいて欲しい」って伝えてみたら「私も行きたいから方法考えます」って言ってくれた。静は普段は東京に住んでるんだけど仙台で無理矢理仕事作ってくれて「交通費は仙台~八戸間だけで良いです!」って(笑)。

ー サポートメンバーが総勢6人。あれだけ揃うと豪華で華やかで、まさに周年ライブにふさわしかったです。

モモ ね。前にいるお客さんからも、後ろにいるバンドメンバーからも、みんなの愛に包まれてる感じ。楽しかったです。

サトル でもさ、あのバンド、ちゃんとモモちゃんが率いていたでしょ?
さっき、ライブに来てくれた俺のファンの人に「ライブどうだった?」って聞いたら、「サトルさんがいなかった!」って言ったの。どういうこと?って聞いたら、俺が気配を消していて、「いつものサトルさん感が全然なくて、とにかくモモちゃんに集中できた」って。
もちろんそう意識してたから、ちゃんとそう見えてたんだ!って嬉しかったんだけど…。でもそれは俺がいくら意識していても、モモちゃんが後ろを頼って、例えばMCで言いよどんで、こっちに助けを求めるようなことやっちゃうと俺が前に出ていくことになっちゃう。でも昨日はそういうことが全くなくて、なんなら俺が入っていこうとするとそれを制するみたいな。そしてそれで会場が盛り上がるという(笑)。ちゃんとモモちゃんがリーダーだった。それがとても良かった。

音楽も食事作りも、同じくらい大切なこと

ー モモさんをメインに据えた、とても良いチームワークができていました。ところで今回のリハーサル期間中の食事はモモさんが担当したと聞きましたが、それについてお話を聞かせて下さい。

モモ 私は、今回のコンセプトが「MUSIC DINNER」だったから、みんなの賄い(食事)を作るっていうことにもとてもこだわっていたの。
リハーサルの3日間、バンドメンバーのご飯を毎日私が作って、一緒に食べていたのね。一緒に食べて飲むっていう事で人間関係ってすごく深くなると思ってるから。私にとってリハーサルと同じくらい超大切なことだったの。
でもそこですごく頑張りすぎちゃって…もっとへっちゃらだって思ってたのに。歳とったなって思いました(笑)。ペース配分がおかしかったなって。次に活かします(笑)。

サトル そうね。3月26日の夜に機材搬入で俺が三沢に入って、翌日から3日間、バンドメンバーでリハして。モモちゃんが、その間のスタッフやメンバーのご飯を自分で作るんだって言っててね。お手伝いもなしで。
そこはさ、正直やりすぎなんじゃないかって思ってたんだよね。特に達哉さんがリハに参加した初日なんて、前日が達哉さんの還暦の誕生日だったから「お祝いのパーティーにする!」って言ってすごい量の料理を全部ひとりで作って。それで案の定、片付けが夜中1時半までかかっちゃって翌日のリハーサルで空き時間にテーブルに突っ伏して寝ちゃったりしててね(笑)。俺たちの食事に力を入れすぎて寝る時間なくなって、ライブのパフォーマンスに影響が出ちゃったら元も子もない…って思ったんだけど。
でもね、ライブのタイトルでもある「MUSIC DINNER」っていうコンセプトはモモちゃんが自分で考え出したものなんだよね。
「”MUSIC”と”DINNER”、両方ともあってこその私なんだ」っていうのを強く意識してたんだろうし、「これが私なんだ!」っていうのを自分にも、俺たちにも言い聞かせてるのかもしれないと思って。ご飯を毎日作るっていうのが、モモちゃんにとってはとても大事なことなんだろうから「もう頑張らなくていいよ」とか言っちゃいけないなって。「明日は外食で良いよ」とか言っちゃうとモモちゃんの決意を踏みにじる事になるよなって。
やれやれと思いながら、でも、頑張れ頑張れって思いながら見てた。これをモモちゃんはやりたいんだろうなって。

ー モモさんの気持ちはどうですか? サトルさんがお話ししていた通り?

モモ うん。やっぱりそこも大事なことでした。だってどっちも好きだし、どっちもやるって決めてやってるから。「二刀流」「2足のわらじ」っていうのはこういうこと、みたいな。

ライブ翌日にイベント「アフターライブランチ」開催

ー では、それも含めて乗り切ったという感じだったんですね。

サトル そうね。しかも今日のイベント「アフターライブランチ」※ もやった。話を聞いた時はさすがに無茶だと思ったよ!

※アフターライブランチ
「MUSIC DINNER」ライブ翌日の3月31日に、『Momo’s lzakaya 福』で開催されたランチイベント。11時からと13時からの2回制で、「和風石焼ほっき丼」「パイカカレードリア」といった三沢名物の素材を使ったランチが提供された。食事のあとは、モモ、サトルを交え、ファン同士で前日のライブの感想などを語り合った。

ー 今日のイベントの発案はモモさんからだったんですか!

モモ うん。

サトル モモちゃんがやるっていうんだよ。ライブの準備のために「Momo's Izakaya 福」を一週間休むから、お店の売り上げが無いと。
それでライブも赤字確定だったから、とにかくお金を稼ぐんだって言って。

ー モモさんは、従業員ふたりを抱えたお店の経営者でもありますからね。

サトル だから、ライブの翌日もイベントをやるっていう…。ということは俺も必要かなぁって思って手伝ったんだけどね。でもお客さんにとってはさ、まさに「MUSIC DINNER」っていうか、ランチだったけど、音楽と飲食業を両立させてるってこういうことなんだって、伝わったと思うよね。
イベントに来てくれたお客さんが言ってたけど、「ほかにこんな人知らない」って。

モモ 遠方から来た人が、そのふたつを知るチャンスじゃない?
「ミリオンレディオ」の番組で、『福』のテーブルはミリオンレディオチームが一緒に手作りしてくれたとか、窓の障子もサトルさんが貼ってくれたとか話をしていたし、そういうところも実際に見てみたいだろうなーと思ったから。やっぱ、やるべきかなぁって。

サトル やりきったよねー。本当にモモちゃん、頑張ったね。よく頑張った。

アフターライブランチの様子①
モモのほか、サトルも
厨房に立ち料理を提供
アフターライブランチの様子②
ワインを注ぐモモ

■モモのブログ
メンバーに振る舞った賄いメニューの写真や、アフターライブランチの模様が掲載されている。

■モモ
Home - MOMO VOICE モモ公式ホームページ
■Momo's Izakaya 福
https://www.misawa-huku.com/

■坂本サトル
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■OFFICE mode key
OFFICE mode key / MODE KEY RECORDS

■坂本サトル ミリオンレディオ(エフエム青森、毎週木曜20:00〜21:45)
https://www.facebook.com/millionradio/

(中編に続きます)


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