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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(13)アッソス


イダの山裾

ベルガマに連泊した後、さらに160㎞北のアッソス遺跡へと向かう。
山が緑になってきている。乾燥した季節も終わりが近いのか、降水量の多い地域に入って来たのか、トルコの地理や気候に無知な私にはわからない。

イダ山。山というより山脈といったほうがよいようだ。

一つだけわかっているのは、もうこの辺りはホメロスの「イリアス」に詠われた「イダ(イデ)の山裾」であるということ。

「ゼウス が イデ の 山上 より 轟々と 雷 を 鳴らし、 炎々 たる 閃光 を アカイア 勢 の 真直中 へ 放つ と、 アカイア 勢 は それ を 見 て 肝 を 冷やし、 全員 蒼白 の 恐怖 に 襲わ れ た。」(「イリアス」第8歌75-77行)

松平 千秋. ホメロス イリアス 上 (岩波文庫) (p.202). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

トロイアを攻めるギリシャ(アカイア)勢をに恐慌を引き起こす雷が、この山並みを覆う雲から落ちたのだ。

アッソスのアテナ神殿

私はこのアッソスという遺跡のことを知らなかった。
例によってアクロポリスは山の上にある。バスを降りて石畳の道を辿ると、そこには思いもかけない見事な神殿があった。

アッソスのアテナ神殿。ドーリア式の柱が一部復元されている。
神殿の復元模型。柱は38本もあったそうだ。

紀元前6世紀にこの地域の石(安山岩と聞いた)で作られたアテナ神殿、そしてここから海を眺めれば指呼の間に見える島は、あのレスボス島だ。

レスボス島。女性詩人サッフォーの住んだ島として知られる。現在もギリシャ領。

このあたりの植生はほぼギリシャに似ているという。
私は、ずっとずっと恋焦がれたギリシャのこんな近くに来て、しかも当時アテナ女神が祀られたその神殿に立っている。言葉もない。

アッソス遺跡


そして、アッソス遺跡は思ったよりずっと大きかった。神殿の見学、昼食後、バスで山を下っていくと、実にきれいに積み上げられた城壁が続く。これも遺跡なのだ。

車窓から撮った城壁。きっちりと積み上げられている。

さらに下ると遺跡全体が見えてくる。アクロポリスの下には町があり、円形劇場がある。

中央やや右が円形劇場。ペルガモンよりは規模が小さいようだが、かなりの広さと高さがある。

下の門は観光シーズンが終わって閉鎖されていたが、ガイドさんが鍵の管理者(昼食を取ったレストランの人だそうだ)に依頼して特別に開けてもらうことができた。

そして上ることしばし、とても印象深いものがあった。巨大な城壁(塔?)だ。

壁のへこみは衛兵の隠れ場所だったらしい。

実に高く、わずかに隙間があるだけの整った城壁が、この地震の多い国に今も残っていることに驚く。写真左下の石には2匹の蛇と車輪らしい彫刻がある。医療に関係があったのだろうか?

ほかにも轍跡のある石畳の道や道脇の排水溝、さらには暗渠など、町全体の遺構が残っている。そしてこの遺跡の眼下には当時と変わらぬエーゲ海が広がっている。

バスの停まっているところからここまで登ってきた。かなりの高さ。

円形劇場にて

ツアーの同行者の一人、Sさんは、古代の詩に自ら旋律をつけて歌う、いわば現代の吟遊詩人だ。そのSさんがこの円形劇場で歌を披露してくださった。この地で古代歌われた旋律を使ったその歌は、まさに当時に私たちを誘う至福のひと時をもたらしてくれた。

円形劇場。最前列に壁があるので、ローマ時代まで使われたのかもしれない。

その後、もうお一方がハーモニカで「荒城の月」を披露してくださった。
ハーモニカの物悲しく素朴な音色は、遺跡によく似合っていた。

もうみんなバスへ戻ろうとしていた。
私も早く戻らなくてはいけない。
なのに、私はどうしてもここでうたいたくなってしまった。
石でできた円形劇場は素晴らしく音が響く。大して出ない私の声でも、響くかもしれない。

ほぼ皆が円形劇場を出てから、この位置から座席に向けて、声を出した。思ったより声が出た。そして、反響というよりほぼ同時に声が跳ね返ってきた。その感覚ときたら、まるで味わったことのないものだった。

「古城」の1番をうたって、私は急いでバスに戻った。

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