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私はいまだに「木村信也物語」を読み返す。毎回発見があるから

「木村信也~アメリカに渡ったカスタムバイクビルダーのはなし」(以下、木村信也物語)を書き上げるまでに、30回は読み返している。
木村信也物語の販売を開始したあとも、つまり木村信也物語をnoteにアップしたあとも10回は読み返している。

それでもなお、私は木村信也物語を読み返す。

それは、いまだに新しい発見があるからだ。
「木村さんがいいたかったことは、こういうことではないのか」と。
木村さんのバイク観はとてつもなく深い。

もちろんバイクを深く深く愛している人はたくさんいる。
しかし木村さんほど、バイクに関して深く深く話してくれる人は、そうはいない。

バイクを知りたい人は、木村信也物語を読むとよいだろう。
木村信也物語にはバイクの神髄が書かれてある。
例えばこんなふうに。

「常々思っていることですが、僕がバイクに芸術性を注入するまでもなく、元々バイク自体が芸術的な存在である気がしています。不安定な2つの車輪の上で、むき出しの人間がコントロールする道具。プロのレーサーならずとも、安全は乗り手のライディング・スキルと自制心に大きく委ねられている。今でも使用が許されている道具で、ほかにそんな存在があるでしょうか。もっと原始的な、例えば火とか刃物とかにより近い存在に思えて仕方ありません。」

(木村信也物語、第4章「アーティストの芸術性とメカニックの機能重視との葛藤」から抜粋)

バイクを火と刃物に例えた人を、私は木村さんの前には知らない。

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