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noteを書く事にした

blogをやめて久しいが久々に文章を書きたくなったのでBluetoothのキーボードとiPadで書いている。キーボード付きケースとどちらにするか悩んだが安いのと幅が少し広いため前者にした。

基本的には育児しかしていないので育児と趣味(読書、ゲーム、漫画、映画、博物館等)について書こうと思う。

「人生で一番痛かった日」

「常に離乳食について考えている」

「最近めっきり本を読んでいないこと」

「SWを劇場で観た、ミッド・サマーも劇場で観たい」

「人が酷い目に合う創作物が駄目になった」
 
「妊娠と育児は予想外の事が多い」

この辺りは書きたいと思っている。子どもが寝たら家事をして終われば趣味をやっているのでペースは遅いが備忘録として使っていきたい。7ヶ月前に死ぬほど痛い思いをしたがどんな痛みだったかは忘れた。ただ、人生で一番痛かったという事は覚えている。


「人生で一番痛かった日」

6月7日、38週と5日で子どもを産んだ。
6月6日の朝に陣痛が来たので28時間くらいかかった。平均は14時間、長くても20時間くらいだと思っていたので6月6日生まれか〜と思いながらタクシーを呼んだ。この時は陣痛が3分間隔だったがまだ平静を保てる程度の痛みだった。
病院にも連絡を入れていたのですぐ助産師さんが来て内診をしたところ破水していた。すでに子宮口が1センチくらい開きっぱなしだったので絶対早産になると思っていたが38週5日まで持ったのは自分でも驚いていた。
陣痛を待ち続けてタクシーとか自宅で産まれたらどうしようと思っていたがそんなことは無くめちゃくちゃ時間がかかった。陣痛に気がつかなかったらどうしようと子どものいる先輩や後輩に聞いたが曰く陣痛はその時が来れば分かるとの事だった。その通りだった。
車椅子で陣痛室に向かう、タクシーの中で旦那さんと母に連絡をして2人ともすぐ来てくれるとの事だった。確か8時半くらいだったと思う。何人か先客がいた。陣痛室はカーテンがついた布団とシャワーとトイレがあり6床くらいだったと思うがあまり覚えていない。この時は呻き声をあげるくらい痛かったが持参したパジャマや暇つぶしの本などの入院グッズを足元に置いてNSTを眺めていた。3分毎に痛かったがまだまあ我慢ができる範囲ではあった。採血や血糖測定などもして定期的に助産師さんや看護師さんに内診してもらった。
1時間ちょっとで旦那さんが来てくれたのでホッとした。まだこの時は痛い痛いと言いながらも会話ができていたと思う。その1時間後くらいに母が来た頃には重い生理痛ともう無理な下痢が混ざったような痛みで食事も取れなかった。妊娠糖尿病だったため2時間おきに血糖値を測りインスリンを注射する。妊娠出産は血糖値が上がりやすくなるので8人に1人くらいの人が妊娠糖尿病になる。自分がなるまで知らなかった。もう時間の感覚が無くなるくらい痛かったがこの時点ではまだ一人でトイレに行けた。NSTつけっぱなしなので用を足しにくいがそれどころではなかった。陣痛室には一人しか付き添えないので母と旦那さんが交代交代で居てくれてしがみついて陣痛に耐えた。もう1時間くらい経っただろうと時計を見ても10分しか経っていなかった。これが絶望ってやつだなと少し笑えた。担当の先生は診察の曜日だったので来れず他の先生が内診をしてくれたがまだ3センチしか開いていないと言われてもう帝王切開してくれって思った。帝王切開術後めちゃくちゃキツいらしいがとにかく陣痛が痛すぎて早く終わってくれという気持ちしかなかった。ずっと呻くか叫ぶかしていたが他の妊婦さんはそこまで煩くなかったので恥ずかしいがそれどころではなかった(n回目)
痛い痛いもう駄目死んじゃうとずっと叫んでいたが死なないし子宮口は開かない。何時間も経って朝6時ごろに何センチか聞いたら5センチとの事。もう耐えるのは無理だと思い8時過ぎに先生が来てくれた時に切ってくださいと懇願した。しかし却下だった。お産の進みが悪いので陣痛促進剤を点滴することになった。水分も取れなかったので普通の点滴を手の甲から挿していたがそれを交換するようだった。ここまでで痛すぎてトイレに行けず2回漏らした。
もし緊急手術になっても良いように寝たままレントゲンを撮ったりした。
看護師さんと助産師さんと旦那さんと母に励まされながら9時過ぎに内診したところ8センチまで開いていたので分娩室に移動になった。母は途中何度も変わってあげたいと泣いていたが分娩室に入れば1時間くらいよと言われたので最後の気力を振り絞り旦那さんと分娩室に入る。しかし回旋異常(胎児の頭が前向き)の為いきんでも降りてこずここからフリースタイルに突入する。
まずは横向きになりいきむ、ここで全開大の10センチまで開いたのであと少しでこの苦しみから解放されると思ったがそうはいかず床にうつ伏せになりいきむ。親切な助産師さんに励まされながら頑張る、旦那さんは水を飲ませてくれた。兎に角暑いのに寒くてわたしはここで死ぬんだなって思った。1時間めちゃくちゃ長くない?精神と時の部屋かよって思ってたらやっぱり4時間かかっていた。もう無理だと思ったところで頭に触ったよと言われたので気合を入れ直した。基本的には女の先生と若い男の先生が診てくれて、途中でゴッドハンドみたいなおじさん先生が来て手を突っ込み頭の位置を変えた。やっぱり出てこないので吸引分娩する事になり会陰切開をした。会陰切開のことを考えて慄いていたが陣痛痛すぎて切られてるのはわかるけど痛みを感じなかった。普通は真っ直ぐ一本切るのだが吸引器を入れる為にハの字に大きく切ったらしい(らしいと言うのは自分では見れない為)ここでチアノーゼを起こしかかったので酸素マスクをした。人生初酸素マスク、ダース・ベイダーみたいな音がした。
ここから更にいきむのだが体力を消耗しすぎてなかなか上手くいかない。おへそを見る感じでいきんでと言われたが必死でそれどころじゃなく旦那さんが頭を持ち上げたり下を見てと言っていたがその事に妙に腹が立ち、わかってるよとキレた。
女の先生が吸引器を入れていきむタイミングを指示してくれるが上手くいかず飛び散った血が顔に付いても動じないでまた引っ張り、上からはおじさん先生が骨折れるんじゃないかって勢いで圧迫。もう無理と思いながらいきんだらカポンと音がして子ども誕生。看護師さんのもういきまなくて良いよの言葉で安心して先生が取り上げた我が子と対面。旦那さんが泣きながら頑張った、と言った。14年の付き合いだが泣いているところを初めて見た。へその緒を切ってから出てきた子を抱いてこの大きさ出てくるの無理でしょって思った。そのまま体重測定で旦那さんと一緒に連れて行かれた。医師3人看護師6人(うろ覚え)と旦那さんに見守られながら大仕事を終えた。途中何度も血管の切れる音がした。
後から聞いた話だが先生たちがあと何回かいきんで駄目なら帝王切開というジェスチャーをしていたらしい。あと床が血の海なのに笑って話すわたしを見て驚いたそうだ。最後の方はもうチアノーゼで顔が紫&血管浮き上がっていて、後から旦那さんからギニューみたいだったとメールが来てギニュー調べたらこれか〜って夜中の病室で笑ってしまった。今でも思い出し笑いすることがある。
その後胎盤が出て残りがないかチェックしてから会陰切開の傷の縫合をした。陣痛がなくなったので切った時より痛く感じた。出血多量だったため2時間くらい分娩台の上で過ごした。暇だったのでメール送ったりTwitter見たりソシャゲのログインしたりした。おしっこしたくなって看護師さんに伝えたらまだ歩けないので導尿しますね〜と人生初カテーテル。当たり前だが人生初が多い日だ。カテーテルは不快だったが導尿したらスッキリした。この後もう一回導尿したが自分だとできないくらい出し切れたのでちょっと癖になりそうだなと思った。
母と合流し車椅子で病室に行き夕飯を食べた。1日半ぶりくらいの食事。新生姜ごはん、ポテトコロッケ、胡麻和え、中華スープ、冷やしトマト、スモークサーモン、カマンベールチーズだった。生物とナチュラルチーズは妊娠中食べられないため感動した。それでなくとも妊娠糖尿病でカロリー糖質コントロール食だったため200グラムも炊き込みごはん食べて良いんですか〜?とシビれた。その後看護師さんと一緒に歩いてトイレに行く練習をした。まさに牛歩。ザクザクに切られているため尻がめちゃくちゃ痛い。円座クッション買って持ってきて良かった。あとしみるんじゃないかって怖かった。悪露が出まくってトイレが殺人現場みたいになったので焦った。10ヶ月生理がなかったらまあこうなるよなと思った。トイレの鏡にはめちゃくちゃ疲れて目の血管が切れた自分がいた。1日で5年分くらい老けてた。産後は白髪と抜け毛もすごい、鮭なら死ぬし現代でもお産は命がけなのだ。
疲れているのに出産ハイで目が冴えてしまって、子どもも今日は予後を見るためGCUに入院だし睡眠薬を飲んでロブスターのぬいぐるみを抱いて数ヶ月ぶりにぐっすり眠った。同室の新米お母さんたちは馴れないお世話と授乳で大変そうだった。
この時はまだわたしは子どもがNICUで保育器に入っているとは全く知らなかったのだ。
これがわたしの人生で一番痛かった日の話だ。
出産は短距離走、育児はフルマラソンという感じで大変さの種類が違う。毎日忍耐の限界を更新しつつ子育てをしている。子どもは今週末には8ヶ月、のんびり屋だがなかなか良く育っている。

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