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人間は塊のステーキ肉を見るとテンションが上がる


父から1キロのステーキ肉が送られてきてとてもテンションが上がった。元々肉が好きだというのもあるが塊の肉というのは本能に訴えかけてくるものがある。もう年齢的にたくさん食べるのは胃に負担がかかるが2日間ステーキを堪能した。週末には蟹が来る。コロナで自粛ムードなのでいかに家で楽しく過ごすかと考えるとやはり食になってしまう。来週はOHZANのラスクが来る。

昨日は保育園の面談があり妊娠出産に関して記入する欄に妊娠糖尿病と吸引分娩と書いたので大変だったんですね〜みたいな話になったがそういえば本当に大変だった。

妊娠糖尿病、以下Wikipedia

「妊娠中は、ヒト胎盤性ラクトゲンやエストロゲン、プロゲステロンなどの妊娠中に増加するホルモンにより、耐糖能が悪化しがちであることによる。一般的には、出産後に耐糖能は正常化する。一方、もともと糖尿病患者が妊娠した場合は、糖尿病合併妊娠と呼ばれる。とは言え、もともと糖尿病であったかどうかを完全に確認できているわけではなく、妊娠時に初めて糖尿病が発見されたということもある得る。また、妊娠糖尿病として糖尿病を発症した後、出産後も糖尿病が治らないケースもある。以上のような理由から、妊娠糖尿病であった妊婦に対しては出産後の耐糖能の経過を観察することが望ましい。」

父と兄が糖尿病なので家系としてはなり易かったが最初の負荷試験の時まあ二次検査は通るだろうという甘い考えで行ったら(糖尿病だけに)見事にひっかかり4月1日から管理入院となった。病院で血糖値の測り方と食事療法、インスリンの自己注射について4日間学んだ。本と抱き枕とエビのぬいぐるみたちと頑張った。婦人科病棟なので切迫早産の点滴つけたままトイレとか風呂に入ってる人も居て大変そうだなと思った。血糖値の測り方は指先に針を刺して血を出してセンサーにつけるのだが地味に痛い、これを1日7回測定し看護師さんに報告する。食事療法は薄味低カロリー&6分食(朝食、おやつ、昼食、おやつ、夕食、おやつ)で血糖値をコントロールする。細かく食事を分けることで血糖値の急上昇を防ぐ、これを出産するまで行う。インスリンの自己注射はペン型の注射器からインスリンを注射して血糖値をコントロールする、皮下注射なので血糖測定よりは痛く無いけど妊娠中にお腹に針を刺すのは結構怖いし子どもに対して申し訳ない気持ちになった。
自分がなるまでは知らなかったが10人に1人くらいはなる病気で出産後胎盤が排出されれば血糖値は落ち着く。元々持病があり、妊娠糖尿病にもなってしまったためハイリスク妊婦となり総合病院での出産を余儀なくされた。ごはんの美味しい個人病院に憧れがあったが回旋異常で促進剤も使い、吸引分娩と出血多量で子どももすぐNICU入院だったため結果的には総合病院で良かった。
退院してからはかなりストイックに食事療法をしてそれ以降の体重増加は3キロ以内で収まった。カロリーと血糖値を把握すれば結果が出ることは証明されたが産後は育児で忙しく食しかストレス解消法がなく体重は増え続けている。

退院してからは子どものために頑張ろうと思いたくさん歩いたのだがこれが良くなかったみたいで切迫早産で自宅安静とリトドリンの服用をすることになった。リトドリンの副作用はめまい、手足の震え、そして血糖値の上昇なので妊娠糖尿病との相性は最悪だった。去年のGWは早産に怯えながらタクシーで通院し、22週(生育限界、生存率50%)、24週(器官形成期、生存率80%)、28週(生存率95%)、34週(肺が形成され自己呼吸が可能)、36週(正規産まであと1週)と祈るように家から1歩も出ない生活をした(アニメと映画とゲームと本が心の支えだった)34週くらいから子宮口が1センチくらい開いてたのでずっと怯えながら晴れて正規産の37週を迎えた日は本当に安心した。すごく良い天気だったのを覚えている。これでいつでも大丈夫と思っていたが38週5日まで産まれず次の健診で予定日超過した場合の計画分娩の話も出ていた。決して安産とは言えないお産だったが9ヶ月経った今母子共に問題なく過ごしている。

去年の6月は子どもが生まれて慣れないお世話で大変だったが一昨年の6月は稽留流産で手術のため入院する2日前に自宅で完全流産した。前々から後輩とビュッフェに行く約束をしていたが実はこういう理由で行けない旨を伝えた時ものすごく辛く世界でいま一番不幸なのはわたしなんじゃないかと思った。初めての妊娠で、わたしは嬉しくて舞い上がり周りに報告したが心拍の確認ができず流産を告げられた時あまりに悲しくどうやって家に帰ったのか覚えていないが帰宅後大声で泣いた(ミッド・サマーのダニーくらい)
流産が起こる確率は15%で決して少なくは無い。でもその15%に自分が入るとは思っていなかった。安定期まで報告を控えるというのは初期は流産の確立が高いためというのもこの時知った。2回目の妊娠も心拍の確認が遅かったためまた駄目なのか、わたしは子どもを持つことが出来ない人間なんじゃないかと思っていたので9週で心拍確認できた時はとても嬉しくて診察室で泣いた。最初の子の流産が確定したのも9週だったのでこういう偶然もあるのかと思った。妊娠出産は何があるかわからないし奇跡の連続だ。今年の6月は子どもとわたしの誕生日があるのでエビと蟹で祝いたい。

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