社会下手な話2

数ヶ月前、4歳の甥っ子と姉、母と遊んだ。

甥っ子と行く定番の雑貨屋があった。
入り口に子供向けの、ボタンを押すと音が出る知育玩具みたいなのの
見本コーナーがあり、私と甥っ子はそのコーナーに座り、母が買うものを選ぶ間そこで遊び、最後に甥っ子のものも何か1つ選んで買って帰る、というのが数ヶ月に一度の恒例の遊びみたいになっていた。まあ長くいても30分いかないくらいだったと思う。

最後に行ったときも、音の鳴らないおもちゃで10分くらい遊び、
DVDが流れていたのでちょっと移動して10分くらい視聴して、
また5分10分くらい?音が出るおもちゃで遊んでいたら、
店主さんが近づいてきて
「もう終わりにしてください。次に遊びたい人が待ってるので」と止めに来た。店主の後ろを観察したが、次に遊びたい人は待っていなかった。
(こちらもいつも周りを気にしながら遊んでいたつもりだ)

急に言われて驚き、あ、はい、と立ち上がろうとしたが、甥っ子は切り替えがすぐできず少し粘っていたものの、立ち上がらせたところ、横にまだ私達がいるのに店主さんは不機嫌そうに、見本のおもちゃをどんどん片付けて撤収させていた。

え、そんな迷惑だったの?私の心臓はばくばくと鳴っていて、パニック状態になっているのを感じた。

気を使っていたつもりだった。ぐちゃぐちゃにならないようにマメに整理しながら遊んでいた。甥っ子はもう落ち着いている年齢だし、その見本を壊したということもない。普段も遊んでいるとき時々店主さんが近くで作業していたが、うるさくて迷惑だなと思って近くにいたのかな。
嫌なら、ベンチ設けて遊んでOKコーナー風にしないでくれればいいのに…店内の売り物の商品を子供ががちゃがちゃいじくるよりかいいかなと思っていたのに…意識して買うようにしていたけど、ダメだったのかな。

ここは大人と、音を立てない静かな子供だけが許された場所だったのか。

嫌なことがあると何回も反芻して考え込んでしまう性格が災いし、しかも無職のときだったので刺激に弱いし暇だしで、2日くらいガチで寝込んでしまった。私はあそこで甥っ子と遊ぶことに癒やしさえ感じていたのだ。恐怖の場所になってしまった。甥っ子はもう連れていけないことが確定したが、私ももう怖くて行けない(遊ぶコーナーが撤去されていたらそれはそれで徹底的に対応されてる!とショックだし)。地元の狭いコミュニティーで、どこかで鉢合わせするかもなっていうのも辛い(向こうはこちらの顔などもう忘れているだろうが)。
辛いからもう、潰れてしまうのを願ってさえいる。店主の年齢的にあと10年くらいかなとネチネチ考えている。店の情報に触れるのももう嫌なのに、ついついグーグル口コミに誰か悪口書いてないかなって覗き、誰も書いてなくて、あの悪意は私達にだけ!?とまたショックを受ける(客層的におとなしいだろうから、なんかあっても書かないだろうなと信じてる)。

私は嫌なことがあるとこうやって内側にストレスをためて自滅していくタイプだが、怒りを発散させる、私と性格が反対の子にこのことを愚痴ったら、「不機嫌だったんでしょ」ときっぱり言ってくれて、ああいいなあこういう性格…となった(友達みたいな性格だったら「すみません」で出ていって、後腐れなくてさっぱりしてて、なぜそういう人間に私はなれないのかとまた悲観的なのを繰り返してしまう)。
確かに、イベントやってて、いつもよりお客さんが多く、ピリピリしてたのかなっていう気はする。同じように遊んで、ぐちゃぐちゃにして帰る親子が連続してて、怒りの沸点にきたところで私達が遊んでいた可能性はある。
こだわりのお店だから、店主さんに気難しさもあるのだと思う。文化人と同じなのだと考えたら、イラつかれたのもしょうがないような気もする。


でも、子供がまあまあ来る可能性が高いこのお店で、声のかけ方が「もう終わりにしてください」に続き、明らかな嘘…言い方っていうものがあるでしょうがあと思うが、回りくどくない言い方をしたっていうことはこちらがもう客扱いされてなかったってことか…年間数万は甥っ子連れてかなくても買ってたと思うけれど、そうやって数字でいばるのもなんかダメな客なのかな…とまた考え過ぎが爆発した。

甥っ子と遊ぶのはとても楽しいけれど、迷惑がられたことがちらついて、あれ以来少し辛い。甥っ子はめちゃくちゃかわいいし、どんどん成長しているのに。親はすごいなあ。

「気を使っていたつもりなのに怒られる」これが私のもっともガックリきてしまうポイントだと自覚している。先日ハローワークでクレームつけてたおじさんも、こんな感じで怒ってたな。私クレーマーと同じ?いやでも怒りは発散してないぞ。

ツイッターに書いたら、意見が割れて双方が炎上するやつだ。大手出版社の編集者の燃え方がこんな感じだったな。「このくらいなら」の感覚が違うから、こんなことになってしまう。

もう気持ちを切り替えて忘れたほうがいいとわかっているのだが、気持ちの調子が落ちていると、また芽が出てきてしまい、今その状態だ。神様、なぜ楽しかったことではなく嫌だったことを強く記憶するように脳を作ったのですか。辛いです。
「辛かったことを反芻して、悩みの中に閉じこもる」は、脳が膠着してる状態でもあるなと思う。辛い記憶って麻薬みたいに、抜け出せないようになってるはず。

何言ってんだって感じだ

書けば辛さが落ち着くかなと思って書きました。

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