Steve Reich / Six Pianosを踊った時の話。

そもそもどう言う流れで、この曲に挑もうと思ったのか?その経緯すら正直覚えてないけど、

「何かに没頭したかった」

んだと思うのです。
23分踊り続ける事は、体への負担も大きいし、もっと用意周到に準備してやるものなのでは?と思われるかもですが、割と軽い気持ちで踊りはじめたのは覚えてます。

ただ、最初は途中でやめるつもりだった。 10分くらい、自分の身体から出る踊りの要素を確認するために動画まわして、動きはじめた。

開始4分ちょっとで、一回咳込んでしまった。
これは面白かったのでそのまま残しました。笑

多分15分くらいで、この曲を選んだ事を後悔してるはず。笑

でもその後すぐここでやめるのなんか勿体無いな。と思えてきて、

そこから先は、何かに取り憑かれた様に踊ってて、よく覚えていない(トランス状態)。
気がついたら終わってた。そしたら最後は「自分の中にこんなエネルギーあったんだ?!」って思っちゃうくらい、何か発散して終えてる自分が面白かった。


でも改めて見直すと、、、
要所で、凄く冷静に基礎的な要素を織り込んでみたり、訳わかんないくらい速く動いて、その後ゆっくり動いてみたり。。。直線的な動き、曲線?螺旋?ほんと色んな動きがまぁ。

みたいなことも、その瞬間意味のあるような事に思えて、頭目一杯使って、全て「試しにやってみている」っていう自分の中の好奇心に応えている感覚。

更に、こういう踊りの面白いところは、
この踊りを、同じ気持ちで同じ踊りをする事が、金輪際出来ないと言うこと。同じ振付を再現しようとする事は、もはや新鮮味をもって踊ったこの感覚から離れてて、どうやっても「意図的に」動くことになると思っています。僕の中では少なくともそれに取り組む気力はない。それよりかは、また新たな新鮮味を求めてしまうタイプの人間なのだなと思います。

だから新鮮なまま、動画という形として、思い出として、素直な気持ちで踊りに向き合ったこの23分間は結構自分のダンサー人生でも貴重な経験な様に思えてきたので、こうやって文章に残しているのです。


こういう過酷なチャレンジを何の気無しにやり始める自分の「危うさ」は実は前々からよく知ってる。
でもこの日のこの経験が、自分の中の何かの殻が破けた様な気分になっている。

進化なのかな?
それともただの変化?

この日の少し薄れた記憶と向き合うと、「やっぱり自分は変態だな」という答えに行き着くけど、そうじゃなきゃ「表現」とは向き合えないわな。となる訳です。人からどう思われようが正直どうでもいいのです。

自分は自分なので。
自分の中の「こだわり」「信念」が昔から変わってない事だけは、自分で自分を褒めたいと思いますね。もっとより頑固に取り組んでいきます。

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