保育ミドルリーダーの学び直しが園を変えていく

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中堅世代の育成は、保育の中の重要項目の一つになっている。
いわゆる、ミドルリーダーの育成である。

中堅と言っても、園ごとに「区分」は異なってくる。
例えば、多くの職員が若手(20代から30代前半。実際多い)の園では
必然的に中堅的立場である「主任」は、20代後半で担うことも少なくないだろう。

一方で、ベテランが多い職場に至っては、30代後半でも「若手」という立ち位置
にいる保育者もいるかもしれない。

小規模園から大規模園まで、多様な形態を呈している幼稚園、保育園、子ども園に
おいての「中堅」とは非常に幅が広く、年代で括ることも容易ではなく、立場で括ることも難しいのが現状ではないか。

最近、私も「中堅」という立ち位置になったと自覚しており、その立場の重要性を
ひしひしと認識している。

もっと言えば、今の混迷の時代に中堅世代の意識の向上と飛躍なしでは
園の質の向上はないだろうとも思っている。


自分の園は、ベテランが多く、私も30代前半まで「若手意識」が強かった一人で
ある。つまり、自分の実践を考えていればよく、他人(若手など)の実践など、
ぶっきらぼうな言い方で言えば、あまり関心がなかった。

いや、関心はあったが、その人の成長まではコミットしていなかったという方が
適切か。

まあ、裏を返せば、他人の成長まで見ている余裕もなかったのだが。


そんな私が、後輩という立場と初めて学年を組むことになったのは30代中盤。
遅すぎるくらい。今までどんなに楽をしていたのだろうかと思う。

そこで、中堅としての自覚が芽生える???

いや、そこでは当然、いろいろなことを仕事だから教える。

これは、中堅としてというより、仕事のパートナーとしての先輩の義務でもある。

この仕組みは、中堅としての自覚とは言えない。


結論を先に言うと、中堅としての自覚と言うのは、「園全体」の成長のことを
考慮し、行動することである。

自分だけでなく、後輩だけでなく、園という組織全体の成長を考えることである。

それが、中堅=ミドルリーダーとしての自覚の一つであると言いたい。

それが役職として組織全体のことを考えざるを得ない場合も含め、経験値を踏むと
自然と視野が広がっていく。自分が組織の中でどういう立場におり、周りからどう
評価されているのか。組織の中でのストロングポイントは何か。後輩との関係は
どうか、先輩とはどうか、上司である主任や園長との関係はどうか。

そういったことを経験を積み重ねるうちに、俯瞰的に捉えられるようになって
くるだろう。多分。

つまり、役職は関係なく、担任という立場であっても、園全体のことを考えて
いくようになったらミドルリーダーなのである。その意味では小規模園の20代でも
ミドルリーダーであると言える。

ここからが主題。


では、なぜミドルリーダーが重要になってきているのか。

それは、教育界いやどの分野においても、変革の時期である。
自分が常識と思っていたことが通用せず、誰もが自身が持っている常識を
もう一度考え直す必要がきている時代になっている。

気候変動一つとっても、この河川は今ままでは氾濫しなかったという過去の
経験則はもはや通用しない。何が起きるか分からないからである。

哲学者の鶴見俊輔は「学び直し」という概念を提唱した。
これは、二重ループ学習(ショーン&アージリス)の理論でもあるが、
「学び方を学ぶ」ということである。

人が能率よく仕事をする時には、原則を覚えるのが早い。しかし、長期的に
創造的な仕事をするには、原則を産み出したり、変化させることが重要である。
*一部引用 「リフレクティブ マネージャー 中原淳・金井嘉宏」


保育の世界は前年踏襲が残念ながら多い。行事でもそうだろう。
大体、どの園の行事は「同じこと」をやっている。

そして、「先輩」は、自分の経験則を語り、どのような方法をで子どもに
言葉をかければいいのかを語る。

いうことを聞かない子がいるときは、こうするべきだ
そうでないとクラス運営が成り立たない

しかし、この場合にはこの方法という教え方は、原則の教授でしかない。

なんで、この方法をするのか
なんで、この行事をするのか、

という本質的なこたえは、多くの場合ほとんど言語化されて
伝わっていないのが現状だろう。

もし、伝わっていたとしても、それはおそらく先輩からの受け売りの
綺麗な言葉であろう。

綺麗な・・・とは、保育のねらいであるとか、もっともらしい言葉で着飾り
自分の言葉で話していないことを指す。


再三になるが、今は混迷の時代である。
保育、教育の変革の時代である。

誰かが、今の現状に違和感を覚え、言葉にし、手をあげないといけない。

なんで、ピアノが必要なのか
なんで、壁面に装飾が必要なのか
なんで、カスタネットを全員で叩かないといけないのか

それができるのがミドルリーダーである。
違和感を覚えつつも、ある程度経験をふみ、上にも具申できる存在。

今、ミドルの重要性が叫ばれているのは、そう言った理由であると
私は思う。

逆にいうと、園文化を再考できるような「問い」を投げかけられない
中堅世代は、いかがなものかとも言える。

ここで、ミドルではなく「中堅世代」と書き換えたのは、やはり30代から40代
場合によっては50代の(幅広いな・・・)「中堅」が、キーマンだからである。

経験値が高い故に実践ができるのは知ってる。
だが、それだけなら、もう若い世代に道を譲ろう。

この時代に、中堅として園組織にいる意味は、園全体に「問い」を発信できるか
どうかである。

書を捨てて、街へ出よう、である。

外の世界にもっともっと出よう、である。

学び方を学ぶとは、容易ではないと中原氏はいう。
それは多いに同意する。

学び方を学ぶとは、今までの自分の常識や枠組み、原則を一度手放すことである。
辛いことでもある。

私も経験した。

今までやってきたことは何だったのかと、打ちひしがれた。

しかし、一度、打ちひしがれないと改革はない。

ドナルドショーンはいう。

原則の学び直しのループは永遠に回り続ける、と


これだ!
学んだぜ!と思った瞬間に停滞が始まる。


保育は、人生は、常に学び直しの連続である。

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