君(たち)しか勝たん 〜コロナパンデミックの産物としてのメタ構造〜

日向坂46『君しか勝たん』

日向坂46の新曲、「君しか勝たん」のミュージックビデオが公開されました。監督は田向潤さん

以下、MVの特色について簡単に。
鏡の中の像が、鏡に向かっているのとは違うメンバー。この鏡のトリックはジェームズ・キャメロンの「ターミネーター2」でも使用されているかなり有名なトリックです。

アイドルが踊っているかと思えば、アイドルたち自身がカメラや、カチンコを鳴らす。

フレームにジャンプしたメンバーが写真になったり。
ラストは、撮影終わったね!よかった〜と盛り上がるところで終わります。

(ちなみに、冒頭のカメラがローリングするのは、いつか私がやってみたかったやつです。映画監督でもないのに!樋口真嗣監督の「巨神兵東京に現る」のラスト、画面一杯に炎が埋め尽くしそれをカメラがグルグルと回転しながら捉えるカットが気に入っていたので、アイドルのMVでもやってほしかったんデス。)

さて至るところに、ミュージックビデオのなかでミュージックビデオが撮影されていることを意識させられる仕掛けで埋め尽くされていて、このマトリョーシカ的なフラクタルの既視感を思い出します。

奥山由之監督(筆者と同い年!)の、乃木坂46「僕は僕を好きになる」のメタ構造です。同じアイドルに限定するならば、日向坂46のワンカット風MV「窓を開けなくても」やけやき坂46名義の「それでも歩いている」でしょうか?

実は何も新しい手法ではなく、1990年代末、庵野秀明監督「エヴァンゲリオン まごころを君に」で、現実のファンの姿を実写パートとして取り入れたり、今敏監督の「千年女優」「パプリカ」で描かれた夢・記憶と、現実の境目のなさなど、ちょうど四半世紀前にも数多くの作品で効果的に使われていました。
時代が一周したとも言えます。
最近、流行りの映像表現といってもいいですが、これまでアイドルというものをみせるときにフレームの外にあったものを中に捉えてみせるというのは今の時代性を象徴しているものではないかと思ったのです。
これまでも、秋元康アイドルは、舞台裏をみせるドキュメンタリー映画をつくってきたりしていましたが、それはある意味「特別な機会」にみせられるハレであり、シングル曲のMVでみせられるケ; 日常ではあまり無かったことです。

これらとは関係ないですが、中川龍太郎監督がコロナパンデミックの時代背景を採り入れた最新作、「息をひそめて」もある意味では、私達の生きるリアルを箱庭的にオムニバス映画に落とし込んだ作品です。

これまで僕たちがフレームの外に当然のように置いてきたものをフレームの中に抑え、境界線をみつめることこそCovid-19のパンデミックがもたらしたまなざしであり、それらが人の感性がもっとも鋭敏になる芸術作品にも現れているのではないでしょうか。

あなたは、これまで画角の外においていたけれど、いつの間にか中に収めていたものはありますか?