大切なことは、大抵分かりにくい。

世の中には「わかりやすい」が溢れています。

わかりやすいは正義になっているなと感じます。
広告はその最たる塊でしょう。わかりやすく、魅力的であることが良しとされると私自身広告業に携わり、広告向けの文を書く中で感じました。だからでしょうか、50が近いようないい年をした大人が文章が2つ以上になると読むのが面倒くさい、わからないと言っていました。

私は大学では逆のことをしていました。分からないものにどうにじりよって、1ミリでも分かるようになるか、或いはわかったつもりになっていたことを本当に分かっているか一旦崩していく作業です。だから学者の言葉は長いし、どういう意味で使う言葉なのか言葉を厳密に定義していきます。そこがフワフワしていると机上の空論に拍車がかかり、よく師匠となった先生は「空中戦みたくなっている」と言っていました。

広告のコピーでも、学者が使うような厳密な言葉を使えとは言いませんが、アタマを使わなくても直感的にわかる、誰でも簡単にわかるということが本当に分かっているのか結構疑問です。

何故なら言葉の定義や概念、その学問領域の歴史をしっかり調べて勉強しても分からないことだらけだったのです。むしろ知れば知るほど、分かれば分かるほど、いかに言葉が何も語り得ないか感じたほどです。

もっと違う語り口にしてみましょう。

人生の意味とは?
あなたが生きる価値とは?
あなたが好きなものに時間を捧げる意義とは?

こうした質問に、ウケの良い答えを用意することは簡単です。
恐らく就職する時に面接で行われているのは、ウケのいい答えを答えられるかというテストだろうと思います。一種の大喜利なんだろうなと思います。

でも、こうした答えに本当に自分の言葉で、
自分自身が疑いようのない確たる言葉であなたは答えられるでしょうか?

久保史緒里という自分の言葉で語ろうとする女性がいます。彼女は、アイドルデビュー4周年の節目に共に歩んできた同期に向けて、このような言葉を綴っていました。

“手を繋ぐ関係性でなければ、
手を払う関係性でもない。
ただ、
上を見上げれば、
そこに救いの手が伸びていて。
下を向けば、
水溜りにはあの子の笑顔が映っていて。

横並びでゴールテープを切ろうとするよりも、
それぞれがバトンを持って
徒競走をしているようで。


私たちの関係は、
どうやら言葉で表せないみたいです。”[1]

多分、就職の面接であればバツをつける人もいるだろうなと想像します。
あなた達の関係はどんな関係ですか?という問いに言葉で表せないと答えている訳ですから。

しかし私は彼女の言葉はとても誠実だと思いますし、考え尽くした上で語れないものをかたちにして伝えようとしています。
自分で探究しているなと感じます。
現状持てる力を尽くした上で、言葉で表せないと一先ず結論づける姿勢はヴィットゲンシュタインの「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。」という哲学に似た清廉さすら感じます。

「わかりやすく」するのであれば、
「数々の困難を一緒に越えてきた、かけがえのない尊い関係です。」とでもなるのでしょうか。(あいにく私はわかりやすい誰でも震えるような名コピーをかける訳ではないのでうまい例ではないですね。)

悲しいことですが、自分の言葉を紡ごうとすればするほど、
誠実にあろうとすればするほど、分からないことを分かろうとすればするほど、この世界では受け入れられないものとなっていくような気がします。

だって世の中は、わかりやすいを求めているのですから。

でも、そのわかりやすさは虚像だと私は思っています。
そういう意味で、私はこの世界に半分背を向けているのかもしれません。
全く自分のための言葉を紡ごうと思いますし、そこで自分が大切にしたいものの分からなさに向き合い続けたいのですから。

真理はいつだってシンプルだ、例えばアインシュタインが理論化した相対性理論の公式

E=mc²

はシンプルで美しい。という反論を考えてみました。
しかし、初めからE=mc²というものが降って湧いたわけではなく、たとえひらめきだとしてもアインシュタインが学んだこと、それまでの研究が積み上げてきたもの、試行錯誤したことそうした分からなさの一つの到達点としてシンプルに見えるだけの話であって膨大なバックグラウンドがある訳です。もっといえば、数字を生み出した無名の学者や代数学を積み上げてきた数しれぬ人々の歴史があります。

そうですね。
最初から完成されたわかりやすさと、
分からなさに向き合い続けた果てに生まれた、分かりやすさは似て非なるものだと思います。完成されたわかりやすさというのはプロセスを無視しなければ求められることではないからです。

僕らはプロセスを軽視して、関心を抱かず無視して、興味を喪って生きているのだろうと思います。

本当に大切なことは、分かりにくいし、面倒くさいです。

引用文献
[1] http://blog.nogizaka46.com/shiori.kubo/smph/2020/09/057630.php
2020年9月8日閲覧

参考文献
ヴィットゲンシュタイン(1921)丘沢静也訳(2014) 論理哲学論考, 光文社新訳古典文庫.