恋愛感情を抱かせる構造〜遊女とアイドル〜

過去の遊郭と現代のアイドルのこと。

三浦綾子の泥流地帯、塩狩峠だったか、渡辺淳一の花埋みだったか。
記憶は定かではない。
とにかく、江戸時代も終わり文明開化と呼ばれる時代を題材にしたフィクション作品で遊女達はあまりにもキツイ世界で生きるため、客にわざと恋愛感情を抱くことで、心を死なせないように、あるいは希死念慮から遠ざかれるように、生きていたらしいという知識を得たのは、はるか昔のことだったろうか。出来れば、史実や研究に基づくもので知識を得たほうが純度は高いのだが、いずれの作家もフィクションとはいえ、極めて歴史考証に力を入れて書いていたから事実と明らかに乖離していることはなかろう。

さて、この疑似的に「籠の鳥」に恋愛感情を抱かせる構造の奇妙な系譜について私は思索の中で逃れることが出来ない。

それは現代のアイドルである。

彼女(あるいは彼等)は、私的な恋愛を多くの場合堅く禁じられている。一方で仕事においては、萌ゼリフや「あざとかわいい」(カッコイイ、胸キュン)を求められ、消費者にとって疑似恋愛の対象となる役割を全うするよう求められる。ただ単にそうした恋人のような役割をこなせばよいのではなく、彼女(彼等)自身が、ファンたる消費者に恋しているように振る舞うことが至上とされているのは疑いようがないだろう。

本来の私人関係ではあり得ない、不特定かつマッシヴなお客に対してそうした疑似恋愛をしなければ生きることが赦されないというのは、間違いなく、かつての遊女達と同じ構造なのだと思う。

より直系的な遊郭の系譜は、ソープランドといった法のグレーゾーンにつくられた性産業の職種だろうが、要素としては「ポップ」にそして、手軽に遍在していると言わざるを得ないというのが、私なりの思索の産物である。