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山の低さ、人のゆたかさ

最近よく加美町にいく。すぐお気に入りの喫茶店ができ、今はもう店主と下の名前で呼び合う仲になっている。道路もだいたい覚えて(これはそもそも道が少ないのもあるかも)、なつかしい場所という感じがする。端的にいえば、とても惹かれた。江國香織の言葉を借りれば、「皮膚で好きになった街」である。

この前取材した人は「人がいいんだよねぇ」と言っていて、本当にそうだなぁと思った。(人がいい、というのは、まちを褒める人はきっと誰でもそう言うかもしれないが。)加美町で出会う人は皆大抵、オープンだ。そして、少しシャイである。無理に踏み込まず、しかし自分の興味があれば聞き、言いたくなったら言う。見学させてもらった保育園もそんな雰囲気があり、また気に入りの喫茶店はまさにそう。隣の席の知らない人とも、呆気なく友達になれる。皆よく冗談を言い、皆よく笑う。誰かがギターを持てば一緒に歌ったりする(カーペンターズのイエスタデイ・ワンス・モアが本当に良かった)。レモンケーキの美味しいレストランでは、スタッフが小さな部屋で談笑しながらご飯を食べる。垣根がなく、だからと言ってカオスではないーー例えば、客と店主との関係は決して崩れないーーそういう心地よい空気感のある街だ、と今のところ思っている。

加美町は風が強い。なぜかと言うと、そこだけ山が低いから。宮城県の県北は、基本的に山である。山に囲まれたところに点々とまちがある。私の住む岩出山もまさに山。四方八方、ではないが、視界にはいつも高い山が映る。対して加美町は山、あるにはあるのだが、低い。空が広く見える。だから風が強く、火事になりやすい。そのために生まれた祭りが沢山あるんだと言う。

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ふと思うのは、土地と人との関係である。このまちの人たちの心地よさは、加美の土地に関係しているのかもしれない、と思ったのだ。特に理由があるわけではないのだが、あの垣根の低さは、あの山の低さに、近いような気がする。あの風通しの良さは、あの風に。あの懐の広さは、空の広さに近い。そんな気がする。


ひどく感覚的だろうか。なかなか筋のとおった気づきだと思うのは、私だけだろうか。いや、私たちは、住むまちの空気を吸って生きているのだから、その空気が、みずからの身体を作っていることに、不思議は無いだろう。

疲れた時はあの空気を吸いにいけばいい。そう思えるところがあるだけで、こんなに軽やかになる。何度でも、あの人たちに、あのまちに、会いたい。あの空気に出会いたい。

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