靴下の替えは持たない 美容院には行かない



恋が恋であることが少し理解るようになった気がして、それが、とてもやさしく、かなしいことのように思います。


恋が現れ、まるで病気にかかったようになることと、恋との継続的で普遍的な日常を手に入れて、そうすると、恋は恋ではなくなります。


恋に恋して非日常


日常は、退屈だから


たくさん恋をしました。今もずっと、数え切れないほどのひとやものに恋をしています。だけど、私は彼らに対して狂わないでいることが、出来るようになってしまいました。または、狂っても、それに陶酔できるようになって、しまいました

食事が美味しかったとき、お皿に恋をしてもいい
作った人や、食材そのものに恋をしてもいい

風が気持ちよかったとき、その土地に恋をしても
風を、気持ち良いと感じる心の余裕に、恋をしてもいい

自分が一番具合のいいように


具合の、いいように。


一方で、そうして、すっかり、恋の病にかかって、狂った人間を見て、安心するのです。懐かしくなるのです。 彼らは愛しいが、同時に醜くて、病原が私そのものなんかであるとき、もっとも光って、私を満たします。しかしそれは、私が彼らに恋をしないから、なのです。


たくさんの恋で魔力を強くして、人を狂わせたい
そうしていつまでもそばに置いておきたい

私はそのとき、とても美しい




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