秋山巌を探る
私が幼少期からこの木版画が飾られています。
愛着のある旅人、奥が深い俳句、珍しい薄墨版画。82/200ということで、大量生産できる版画ですが、世の中に200枚しかない木版画、この世界観を調べてみたくなりました。本物??贋作??わかりませんがサインを見る限りご本人のサインではと思います。私の家の宝物です。
秋山 巌(あきやま いわお)
ウィディディアから情報を拾ってみます。
秋山 巌(あきやま いわお、1921年3月21日 - 2014年9月15日)は、日本の
版画家。 大分県竹田市出身。
1953年に太平洋美術学校卒業後、版画家の棟方志功から版画を学ぶ。その後、独学で民俗学・仏教学・俳詩・陶芸・彫刻・水墨画を学び、1966年より、駐日アメリカ合衆国大使館主催によるCWAJ現代版画展に招待され、作品を出品している。フクロウをはじめとする動物や民話、種田山頭火の俳句などを題材とした木版画や肉筆画作品を多数発表した。日本美術家連盟会員。
俳人種田山頭火の俳句を題材にした作品などで知られる。作品は大英博物館など海外の美術館にも多く収蔵。
主な作品
山頭火シリーズ
ふくろうシリーズ
ネコシリーズ
みほとけシリーズ
風景シリーズ
主な著書・画集
『木版画入門』
『山頭火の世界』
『ふるっくの唄』
『一茶の四季』
『板画山頭火』
『酒仙の句』
『ねこごころ』
『拝啓 山頭火さま』
『山頭火 版画句集』
主な所蔵先
棟方志功(むなかた しこう)
(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。従三位。
青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意[1]。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
この作品の制作された1975年に棟方志功は逝去されており、もしかしたら特別な感情の入った1作品かもしれないですね。
種田山頭火
種田山頭火の写真
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い。
山口県佐波郡(現在の防府市)の生まれ。『層雲』の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ。
代表句
あるけばかつこういそげばかつこう
へうへうとして水を味ふ
一羽来て啼かない鳥である
うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
生まれた家はあとかたもないほうたる
音はしぐれか
ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ
酔うてこほろぎと寝ていたよ
鴉啼いてわたしも一人
笠にとんぼをとまらせてあるく
笠も漏り出したか
けふもいちにち風を歩いてきた
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
こころすなほに御飯がふいた
鈴をふりふりお四国の土になるべく
霧島は霧にかくれて赤とんぼ
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
まつすぐな道でさみしい
ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
すべつてころんで山がひつそり
また見ることもない山が遠ざかる
松はみな枝垂れて南無観是音
分け入つても分け入つても青い山
鉄鉢の中へも霰
山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
水音の絶えずして御仏とあり
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
生死の中の雪ふりしきる
おちついて死ねそうな草萌ゆる
濁れる水の流れつつ澄む
最後に
秋山巌 もっと詳しく知りたい方は下記に多々情報がありました。ぜひご覧ください。
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