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リスクよりも責任を恐れる日本人:正しい失敗を許容する社会へ

スタートアップ界隈、しかも海外と接点が多いと、「日本人はリスクを取りたがらない」という話をよく聞きます。何事にしても決めるのに時間がかかるし、革新を求める割には前例の無いことは躊躇する。確かに、他国と比べて、リスク回避の傾向が強いように見えるかもしれません。ただ私は、日本人は別にリスクを嫌う国民だとは思っていまん。むしろ、日本に住んでいる人達というのは、世界的に見てもかなりのリスクテイカーだと思います。実例をあげてみましょう。

日本人は世界トップクラスのリスクテイカー

まず何よりも驚異的なのが、30年以内にマグニチュード7クラスの大地震がほぼ確実に発生することが分かっているエリアを首都とし、そこに政治も経済も人口も集中しているという事実です。東京で大地震が発生し、街が完全に崩壊しないまでも、仮に1ヶ月でも都市機能が麻痺したら、日本経済はほぼ確実にゲームオーバーです。ちなみに、世界トップクラスの保険組織であるロイズは、東京が危険に晒されている資産価値が世界一高いハイリスクな街だとしています。いよいよ今年の夏に迫ったオリンピックも、地震に加えて、まず間違いなく猛暑になり、台風が直撃するリスクすらあるのに、屋根の無い競技場をメインスタジアムとして開催します。開会式当日に台風が直撃したらどうするつもりなんでしょうか。生まれてから一度も地震を経験したことが無く土地勘も全くない外国人が何十万人もいる状態で大地震が起こった時の対応はどうなるんでしょう。ほんとうに、オリンピック史上、これほどまでにリスクを背負った開催国はいないのではと思います。

災害リスクの他にも、ロングスパンでは不動産価値が下落する可能性が色々なところで示唆されているにも関わらず、未だに30年ローンでタワーマンションを購入する人があとを絶ちません。あのサイズの建物だと修繕費も凄まじいでしょうし、老朽化による影響もまだまだ未知数なので、購入者に将来発生するかもしれない金銭的負担が劇的に増えるリスクが十分あるにも関わらず、殆どのタワマンは工事完成前に完売するそうです。

教育の面においても、これだけAIが進化しているのに学校教育はまだまだ暗記中心の前時代的なもので、そうした旧式の教育システムの先にある有名大企業への就職というゴールも、目指すべく大企業が次々と倒産もしくは買収されている状況です。そのような時代に、奨学金までもらって日本の大学に進学するというのは、リスクテイキング以外の何物でもないでしょう。

他にも例をあげ始めたらきりがありませんが、多くの人が世界の平均以上にリスクを背負って生活していることは事実です。私自身も、日本に生活し、東京でビルを運営しているので、相当なリスクテイカーの一人です。それにも関わらず、特にビジネスのシーンにおいて、日本人がリスクを取りたがらないように見えてしまうのはなぜなのでしょうか。

リスクではなく責任を嫌う

私の会社では、海外政府の依頼を受けて、様々な国のスタートアップに日本でのビジネスの仕方に関してワークショップなどを開催しています。その中でも、日本企業がリスクを取りたがらないという点について話をするのですが、私は「リスクを取りたくないのではなく、責任を取りたくない」という話をしています。似たようなことだと思われるかもしれないのですが、リスクと責任をきちんと切り分けることで、色々と見えてくることがあります。

例えば、海外スタートアップからよく聞く話として、一つ目のクライアントを獲得するのはめちゃくちゃ大変だったけど、1社決まると驚くほどその後がスムーズになるという話があります。他の国でももちろん似たような面はあるのですが、日本は極端に他社での導入事例があるかどうかが、案件獲得において重要なポイントとなる傾向があります。これも、リスクを嫌うという観点で考えると実は辻褄が合わない話です。なぜなら、すでにプロダクトを使っている企業がいるからといって、問題が発生するリスクが下がるわけではないからです。すでに1年以上利用実績があるというなら話は違いますが、実用期間がどれくらいかよりも、どの会社が使っているかという企業ブランドの方が重視されるように思います。要は、「〇〇さんが使っているならウチで使っても大丈夫でしょう」という話です。どれだけ自国での利用実績や実証実験の成果を説明してもぜんぜん響かなかったのに、「日本では〇〇株式会社に導入して頂きました」というだけで、一気に話が進んだりする訳です。この考え方は本質的なリスクヘッジの観点で言えばかなりナンセンスですよね。「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」という話です。

しかし実際には、導入を判断する側の気持ちとして、そのプロダクトを導入することの本質的リスクではなく、自分がその導入を判断したことの責任をどうするかを重視してしまうというのも、よく分かる話です。どんなにしっかりとした数値的データに基づいていたとしても、自分自身がそのデータに基づいて判断した場合の責任は担当者自身のものになってしまいますが、自社の業界で最大手企業が導入したものであれば、仮に何らかの問題が発生したとしても、「最大手の〇〇ですら分からなかったんだから、しょうがないよね」という責任回避の道が残されます。これは言い換えると、個人としての判断じゃないなら、責任が追求されないという無茶苦茶な話ですが、日本社会が抱える問題の本質を突いている話でもあります。

個人で判断しないことで責任を回避しようとする弊害として他によく聞く事例としては、「日本企業は打ち合わせの場で何も決定せず、必ず本社に持ち帰ると言う。だったら最初から責任者を連れてくればいいのに」という話です。しかし、日本以外の企業が特に困惑するのは、担当事業の役員クラス、それこそ社長が出席しているミーティングですら、その場では何も決まらないケースが多いこと。これもまた、ビジネス的な決定の責任を一個人が背負わず、関係各所どころか下手したら全く関係無い部署とまで話をすり合わせて、全体合議として責任を分散(というより霧散)させる必要があるから発生するプロセスです。

このように日本人は、その決定がリスキーかどうか以上に、その決定が自分の責任かどうか、決定が間違いだった場合に責任を逃れる道があるかどうかを、極端に気にする国民性があります。日本人がリスクを取らないと思われるのは、そのような国民性の結果として、表面的に見えてくる一側面でしかありません。海外スタートアップへのワークショップにおいては、その点をきちんと理解した上で、日本企業とどうやって話を進めるかという点についてレクチャーしています。

問題は失敗を受け入れないシステム

さて、リスクを取らない理由は、責任者になりたくないことが原因な訳ですが、なぜ日本人は他の国よりもその点を極端に気にするのでしょうか。そこには、個々人の特性や性格といった問題ではなく、日本社会がシステムとして抱えている問題があると考えています。端的に言ってしまうと「失敗に非寛容すぎる」ことが最大の原因です。失敗の理由や経緯、その失敗を活かすべき打開策などを考えるよりも、ただひたすら失敗したという点に執着して責任者を叱責し、やらなければ良かったという方向に話が向かう。社会システム全体が、新しい挑戦への失敗を必要以上に貶めることで、現状維持こそが最善という論調に持っていこうとする状態にあるように思えます(この連載でも何度か言及しましたが、今の日本は本当に幕末の江戸と状況が似ています)。日本経済が停滞し、平均年齢だけでなく社会システム自体が老齢化しているのは、このような変化を受け入れない社会心理が根っこの問題としてあるように思います。

以前、イスラエルの方とのパネルディスカッションで、なぜ人口の面でも面積の面でも規模が小さいはずのイスラエルが、アメリカに次ぐレベルの世界的なイノベーション立国になれたのだろうというお話をしたことがあり、その時に彼女は「イスラエルは地政学的にも地理的にもシビアな環境に置かれていて、失敗を責めている暇が無い。その時間があったら、その失敗を活かした新しいチャレンジをするべき」といった趣旨のことを話されていて、まさに今の日本に必要な発想だなと思いました。

日本は、自然災害の面でも経済の面でも社会構造の面でも、かなり色々なリスクを背負った状況にあります。そんな中で、現状を打破するために挑戦している一部の勇敢なチャレンジャーに対して、失敗の揚げ足を取って下らない自己責任論を振りかざしてストレス解消する暇があったら、少しでもその貴重な失敗から学んで、いかに状況を改善することができるかを議論すべきです。世の中には、勉強不足や配慮不足などが原因で、本来避けられたはずの「悪い失敗」も多くありますが、どうしても予測できなかった状況の変化や、それこそやってみないと確認しようが無かった類の「正しい失敗」もたくさんあります。そうした、悪い失敗と正しい失敗を切り分け、正しい失敗はむしろ評価されるべきです。そして、他の人が同じ失敗を繰り返さないで済むように、失敗事例は共有し、社会全体が前に進むという意識が必要です。

冒頭に述べた日本社会が潜在的に抱えるリスクは、そうした正しい失敗を許容する社会になれば、どんどん解決されていく類のものだと思います。今話題になっているダイヤモンド・プリンセス号に関わる問題などはまさにその最たる例です。失敗があってはいけない、オリンピックが中止になるような自体になったら誰が責任を取るのかなど、本来最優先されるべき国民の健康リスクよりも、責任者の保身が優先されたことが、状況を悪化させた原因であることは明らかです。しかし、それを誰か一人のせいにして、その責任者を探し出して吊るし上げようとするのは大きな間違いです。むしろ、そういう感覚を持った人が多いから、状況がよくならない。そんな後ろ向きのことはどうでもいいから、とにかく少しでも状況を改善するために最善と思われる行動をどんどん取る。手抜きや確認不足によるミスは許されるべきではないが、初めて直面する状況で、誰にも正解が分からない状態での判断が仮に間違っていたとしても責められるべきではない。完璧である必要はない、何もしないより、多少の失敗があっても何か成果が出た方がよい。そういう価値観を育てない限り、日本はジリ貧の現状から抜け出せない気がします(日本人が英語が話せない理由も、そういった感覚が原因かもしれませんね)。

重要なのは過去の実績ではなく未来への貢献、知識や経験よりも実動できる戦力、失敗を回避する知恵より挑戦する勇気です。私もあと1ヶ月で40歳になるので、最前線のプレイヤーとしてだけではなく優秀な若手を後方で支援するような機会も増えて来ましたが、そこで重視しているのは失敗を恐れずに安心してチャレンジできる環境を整えること。正直、簡単なことではないですし、何が正解かもはっきりとは分からないのですが、それこそ自分自身が失敗を恐れていては始まらないので、日々精進あるのみですね。いや、もうほんとシンドイですけどね。コロナウィルスの影響とか、海外とのやり取りが多くて、イベントスペースを抱えている身としては本当に胃が痛いですし。早く沈静化して欲しい限りです。。。







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