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おだぶんの「日々雑観」34 気遣いの極意とは⁇

こんにちは。おだぶんです。
いよいよ梅雨入りですね。
今回は、気遣いについて語りたいと思います。

電車やバスに乗ると、「優先席」というものが必ず設えられている。
これは言うまでもなく、ご高齢の方、妊婦の方、体に障害や怪我をお持ちの方、体調の思わしくない方が、優先的に着席していただくためにあるもの。
この優先席は、出来たのは昭和四十年代後半、当初はご高齢の方対象の「シルバーシート」として誕生、列車の先頭車両と最後部車両の車端部に設定され、その字の通りシルバー限定の優先席だった。それから解釈が幅を広げて、現在はら高齢者以外の方にも利用できるような解釈とされている。
もちろん優先席なので、周囲に対象になる人がいなければ、普通に座っていただいて構わない。しかし、シルバーシートとして作られた五十年近く昔の常識が根付いていて、遠慮して座らない人が意外に多い。
車内が混んでいても、何故かそこだけ空席の時がある。私は空いていれば座るようにしているが、座ると「なんで健常者が使うんだ?」みたいな怪訝な顔をされる時がある。
もちろん座りはするけど、対象の方がお見えになったら譲る。それは当たり前。最初から座らない人も、譲る事を前提に座る人も、どちらも気遣いの気持ちがある事には間違いない。
気遣いとは、何が正しい、どれが正しいというものは定義しづらい、そう思う。
気遣いには様々なものがあるけど、その人なりの尺度や価値観などで左右されるもの。
もちろん気遣いはしないよりした方が良いけど、世の中には気遣い出来ない人も結構いる。されるのは当たり前だけど、するのはイヤ。ま、そんな人はとりあえず置いといて、気遣いは簡単なようで、結構難しいものなのだ。
しかし自分が気を遣ったつもりでした言動が、された相手からすると荷が重かったり、逆に迷惑かけてしまったりする事も現実にある。譲り合いが押し付け合いになってしまう、あれによく似ている。私も器用でないので、その手の失敗は人生の中で枚挙にいとまが無い。
例えば誰かの家を訪ねる時など、なにか一つ手土産を携えないと私は気が済まない。しかし、訪ねられる側からすると、好みのものでなかったりする場合もある。甘いものが苦手なのを知らずにスイーツを持って行ってしまい、後でよそからそんな事実を聞いたりすると、やっちまったなぁ、そう反省する事もしばしば。相手は顔に出さずに喜んで受け取ってくれはしたけど、恐らく内心は困っていたんだろうな。そう考えると申し訳なくなる。そんな時、相手は私に上手く気遣ってくれたんだなぁと、感謝の気持ちでいたたまれなくなる。
気遣いは出たとこ勝負の自己満足ではいけない。気遣いは相手の一歩先を上手く読み取る事が大切なんだなと、よくよく思わされる。それには人生の経験の蓄積や思慮深さが大切だとつくづく思う。
気遣いがスマートに、そして的確に出来る人はホント、神だと思う。しかしやらないよりやる事は大切。
これからも自分を練り直しながら、試行錯誤して行きたいと思っている。

気遣いに極意なし‼️

ありがとうございました😊😊😊

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