始めましたと初めまして

どうも

『顔見た瞬間膝から崩れ落ちた』

最近パパになった織田です。

WIXでオラムなるものを書いていたんですが、なんかアクセスのしにくさと書きづらさがあり、これからはこちらで色々更新していこうかと思ってます。

ノートというよりは前と一緒でコラム的なものに出来たらと思っています。過去に書いた記事もこちらに移行する予定です。

さて、私、この度パパになりました。


私の顔のデカさが遠近感を狂わせるそんな一枚

現在寝室では娘っ子と妻ちゃんが寝ています。次はいつ起きてくるのか戦々恐々です。

どこから話せばいいのか迷う。ここまで来るのにも色々ありました。それこそ話題は尽きない。まぁおいおい詳しい話はしていこうと思います。今回は今までの経緯をざっくりと纏めつつ生まれた日のことを。

結婚して間もなく、狭いワンルームから子育てOKな物件に引っ越ししてから我が家の家族計画がスタートした。二人とも30代後半ということもあり真剣に色々考えないとね二人で話し合った。
なので割と早めに妊活というものを始めた。そこからは約1年半くらいの戦い。妻ちゃんは職場に向かう前に病院へいったり大変だった。

この時改めて男というのは無力だなと感じる。

病院行くのも妻ちゃん。妊娠してるか否かの発覚がダイレクトに来るのも妻ちゃん。メンタル的にも辛かったと思う。それでも二人で

「きっとまだタイミングが違うんだね」

と二人で何とかやっていた。私自身が出来る事と言えば妻ちゃんを支える事と妻ちゃんの考えをしっかり受け止める事。

別に恥ずかしいと思ってないから言いますが、人口受精なるものも何度か試しました。この時発覚した私の意外な事実は次の機会にでも。

それでもなかなか上手くいかず一年半がたたないくらいの時に妻ちゃんから

「少しお休みしたい」

と言われた。妻ちゃん自身も私自身もどこかで

「すぐに出来るんじゃないか」

という考えがあったがそう簡単にはいかず、妻ちゃんに少し疲れがでた。

妻「・・・今のうちに海外に行きてぇ。」
私「おぉいいね。コロナも落ち着いたしね。行こう!」

ってなわけで一旦リフレッシュもかねてまだだった新婚旅行計画が立ち上がった。妻ちゃんは嬉しそうに早速色んな海外の場所を調べては送ってきた。そしてスペインに行こうと決まる。それが去年の年末年始。
年越しは二人でスペインの動画を見て、地球の歩き方を購入して計画を立てた。今まで何をするにも何処かで妊活の事がお互い頭にあったが、この時はそれを忘れ無邪気に楽しんだ。

そして年明け。いよいよ航空チケット購入しようと動きだそうとしていたある日、妻が朝早く、寝ている私に声をかけてきた。

「妊娠したかもしんない。線でた」

と海外製の早期妊娠検査できる薄っぺらい紙を見せてきた。

私は寝ぼけ眼でそれを見た。確かに線が出ている。が、人間というのは不思議なもので寝起きで衝撃が強すぎると一回右から左へ受け流す自分の中のムーディー勝山が現れる。私はそれを見て

「・・・おぉ。まじか。え?あの、一回寝ていい?」

と意味が分からない発言をして再び寝た。今思うと最低である。妻も

「まぁ、わかんないけど。とりあえず帰りにちゃんとしたの買うね」

といい仕事へ向かった。私も程なくして仕事へいく。フワフワとしながら働き、そして帰宅。妻も帰宅し、検査。
トイレから出てきた妻はすでに涙をうっすら目に浮かべていた。見るとくっきりと線が出ている。私はそれを見て大号泣した。人生で初めて「線」を見て泣いたと思う。検査薬ごと抱きしめようとしたら妻ちゃんが

「いや、これは汚いからちょっと待って」

と冷静にクロスカウンター。そうして妊娠が発覚した。二人で泣きながら喜んだの束の間

「新婚旅行・・・。」

と我に返る。振り返ると少し悲しそうにリビングで沢山ドッグイヤーされた地球の歩き方がこちらを見ていた。

地「・・・スペイン歩けないセニョーラ?」
私「またいつかアミーゴ・・・」

そっと耳を戻し本を閉まった。私たちはスペインを断念した。妻ちゃんは

「きっと二人で行かないで私も連れてって事だな」

と言った。今思うと娘っ子の現時点でのかまってちゃんぶりはすでにこの時から始まっていたのかもしれない。
そこからは安定期に入るまではビクビクだった。順調に育つのは神のみぞ知る状態なのだ。私は毎日毎日祈る思いだった。調べれば調べるほど辛い話が出てくる。毎回の検査での妻からの報告にビクビクしてたくらいだ。
しかし妻ちゃんはケロッとしていた。なんなら毎日仕事してたし、「大丈夫って私の勘が言ってる」と自信たっぷりに言っていた。その勘は現実となり、安定期に入り、お腹がどんどん大きくなってくる。

幸いな事に妻には悪阻が全くなかった。ホルモンバランスが崩れることもなかった。言ってしまえば全くの普通。たまに自分で

「ほんまに妊娠してんのかいな」

という始末だ。これはとても幸運だったというか妻の才能かもしれない。妊娠中もほぼ妊娠前とあまり変わらない生活が出来たし二人の関係も全く変わらなかった。
7月に入り妻ちゃんのお腹もだいぶ大きくなり、産休に入る。この頃から割と妻ちゃんの日常生活が苦しそうだった。それそのはず。お腹にはその時諸々税込みで5キロ近くの重さがのしかかっているのだ。寝返りするのも一苦労。

「腰が終わりそうだ」

とよく言っていた。家系的に早産の可能性があり8月の私の地方遠征中はびくびくしていたがそこも乗り越えた。

そして来る9月4日早朝。

妻ちゃんは前日に母の勘なのか

「時が来るかもしれない」

と橋本真也宜しくの台詞をはいた。

そして

次の日本当にきた

早朝に妻ちゃんが起きて私を起こした。いつだって早朝。なんで?

「おしるしがきた。」

この時は流石に眠気は一気に吹き飛んだ。いよいよだ。妻は5分間隔で陣痛に苦しんでいる。妻が病院に電話したら

「まだ話せる余裕はあるみたいですね。少し様子見ましょうか。」

と最恐の殺し屋みたいな台詞を言われたらしい。恐るべし産婦人科医院。

とりあえずいつでも病院に行けるように準備する。そしていよいよ限界を迎える。陣痛タクシーを呼び、乗り込む。妻はタクシーの中で苦しそうだ。私は背中をさすることしか出来なかった。
そして病院に着く。

さりげなく一緒に入ろうとしたが、その病院はコロナ対策により立ち合いが出来なく入口前で

「はい、ご主人はここまでー。生まれたら連絡しますんでね」

っと追い返される。
小雨が降りしきる中、祈る思いで一度帰宅する。その日は仕込み初日だったが、理解ある舞台監督さんのおかげでお休みをもらえた。
ソワソワしながら待つと妻から電話が。

「電話!?」

と思い、慌てて取ると向こうから

「うぅ!ぐあぁ!ぐぅぅ!」

という断末魔だけが聞こえた。後から聞いたら、立ち会えない分苦しみを分けたかったそうだ。苦しみながら何故そんな事を考えられるのか・・・。恐るべし妻ちゃんだ。

私は必死で泣きながら

「頑張れ!頑張れ!」

と声を電話越しにかけることしか出来なかった。そして唐突に切れる。再び自分の無力さを痛感する。

そして14時ごろ。妻からLINEがきた。

「でました」

・・・・。

え?

病院から連絡くるって聞いてたけど?
出ました?産まれましたでなく?
え?出ました?
というかLINE打てるの出産直後に?

という沢山の「?」を小脇に抱えながら病院へ向かう。


これが実際のLINEだ。そもそもでましたってどういう事


朝降っていた雨は止み、晴れていた。
家から駅へ、駅から病院まで全力で走った。何故ならこの病院は産後2時間以内に行かないと面会出来ないからだ。こんな事ってあるかよ。多分逃走中のハンターより足早かったと思う。

着いたころには汗だくで受付ではぁはぁ言いながら

「織田の旦那です。」

とよく分からない自己紹介をしてしまう。受付の人に笑われながら案内される。
分娩室から助産師さんが出てきた。半泣き汗だく男に軽く苦笑いしながら、「こちらですよ」と案内される。

部屋に入る。そこには出産を終えた妻と産まれたばかりの娘っ子がいた。


産まれたてほやほやの娘っ子だ

私はそれを見るやいな膝から崩れ落ちて大号泣した。なんだろうか?自分でも分からない感情だった。嬉し涙とも違った気がする。なんの助走もなく溢れ出た感情だった。人生で初の感情。恐らくこんな事は第二子が産まれる以外ないだろう。それくらい自分でも未だに分からない再現不可能な感情だ。

助産師さんはそれを見て笑いながら「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたが妻ちゃんは

「大丈夫です。想定の範囲内。」

とたった今、生命を必死の思いで誕生させた人間とは思えない台詞を吐いた。もしかしたら妻はこの時を何度かループしたタイムリーパかもしれない。毎回私は膝から崩れ落ちてたんだろう。

閑話休題

目の前に我が子がいる。予定日より若干早かったものの元気な女の子だ。とても小さな体で呼吸し、身体を動かしている。その姿に涙が止まらなかった。そこには小さいが確実に『命』があった。その『命』の尊さ、強さを我が子から感じる。これが子供を、いや『命』を授かるということなのかとひしひし感じた。

そして妻ちゃんだ。男には到底想像しえない痛みに耐え、『命』を産み、そして今、笑顔で娘っ子を撫でている。いつも尊敬しているがこの時ばかりは菩薩のように感じた。この人と結婚して『命』を授かって本当に良かったと思った。

と一しきり感動し、妻と言葉を交わして、我が子を撫でるように見つめまくる(コロナ対策で私は触る事が出来なかった)と助産師さんから

「ご主人、そろそろお時間です」

と終了コールが。

「延長で!いくらでも払いますから!ドンペリ入れますからこの子に!」

とお願いしたがあっけなく追い返された。15分の面会が終わり、私は病院を後にし、一人帰宅した。

そんなこんなが娘っ子が産まれるまでから産まれた時の話である。

それから一週間、面会もできず家族が一人増えたのに我が家には私独りしかいず、メンタルがぶっ壊れそうになったのは言わずもがなである。

とまぁ今回はこの辺で。これからは自分の公演(ODA MADE#2やるよ!)の事や子育てや家族の事、夫婦の事などを意味がありそうで特にない感じで書いていこうと思います。

宜しくどうぞ。




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