8.バタフライ

心臓に悪いイントロ、暗くてグロい歌、という印象だった(悪口ではない)。小学校の遠足で行った昆虫館の温室で、大量の蝶に追いかけ回されたトラウマがあるからかもしれない。虫全般が苦手。

まず全否定。作中主体は攻撃的な心を持っている。現実の生活を意味がないと否定し、過去も退屈も愛でずに否定し、自分の行ける居場所もないと否定し、世間から与えられた希望のルートも願い下げして否定する。もう何も残っていない。

作中主体はこのような前も後ろも否定しきった世界を暗闇と呼ぶ。いっそ何も見えないなら良いが、遠くの方にわずかに光る希望のようなものに、こちらから確認できないくせに、妙に惹きつけられる。そのせいで、自分が確かと呼べる範囲の感覚(君繋ファイブエム!)すら失われてゆく。走光性という本能にしたがって、さながら飛んで火に入る夏の虫のように、光へと吸い寄せられる。感覚も意思も奪われた状態で。本能はガラスのように、脆くて美しくて儚くて透明で混じり気のない仕方のないものだが、その先に待つのは希望か炎か。荒んだ僕、と自認して自虐しておきつつ、儚く美しいとされる蝶になれるかな、なんて言う。だが「折れ」てしまう。

これは普遍的な歌だと思う。欲望との付き合い方、しかしその要望は本当に自分の感覚と意思によるものなのか?だれかに、世間に、刷り込まれたものではないか?そのために今の感じたこと鈍い痛みも大切に拾い上げなければ。我々は誰なんだろう。

「折れる」。ナイフみたいな心が折れる。削られた今の日々がとうとう折れる。蝶の手足が、羽が、折れる。蝶になりたいという思いが折れる。いずれにせよ、固形のものが固形のままで途中で途切れてしまうことであり、我々にできることはその落ちた方の先っぽの破片を集めて、大切にとっておくことだ。蝶ではなく、蛾ですらなく、巨大な芋虫になってしまうかもしれない。

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