6.ブルートレイン

聴き始め、交互に鳴るギターがたまらない。
ラッシュ時の列車の焦燥、苛立ち、オートマティックな時の流れを表すかのようなドラム(めっちゃ技巧…)、まろやかな音なのに意識の表面を撫でる高さでゆらゆらしているギターは不安を抱かせる。もう一本のギターはエッジの効いた音で、機械の重さ、鋭さを思わせる。ベースが底を支えてくれるから曲としての芯の強さがある。そして唸るボーカル。

電車のモチーフは愛されている。人生は列車の旅であり、各停もあれば特急もある。また満員電車は勤労のシンボルであり、毎日接する身近なものである。しかし通過列車をホームで待っていると特に感じるが、あれはいくつもの命を預かった猛スピードの物理的な塊だ。「お客様との接触」、死と身近な存在でもある。

生きている限り、遥かなものにさらされ、ゴールを求め焦り、「日々に潜む憂鬱」に落ち込む。そういった目的地や些細な憂鬱さえわからなくなるほど、誰も導いてくれない道を進んで行くしかないのだ。作中主体は電車と自らを重ね合わせている。ガタガタのレールの上を、むき出しの鉄のまんまで、果てもわからずに、いや、わからなくなるために、此処で走ってゆく。

「夢」と「リアル」が濃く問われている。
裂く、凍てつく、刺す、傷、物理的な感覚が何度も表されている。また、傷=表そうとして現れている出来事を取り繕っても、なお湧いて溢れる感情があり、それは人口に膾炙した「リアル」という言葉では表すことができない。言葉は既にフィクションであり、本当に体に感じられるもの、身体とつながったものを指向しているようにも思える。

電車は身近で便利な存在であり、毎日多くの人々が命を預けている。たとえば人身事故の時、脱線事故の時、災害の時、電車が豪速の物理的な塊であり、人間を凌駕する凶悪性を持つ、表裏一体な存在であることがわかる。

「止めどない青さ」=「夢のない僕らの行き先」は「夢から醒めたような現在」。青は未熟、若さ、無謀さ、憂鬱を表すと考える。青さだけは止めどなく、ひとむかし前ならそれなりの夢や希望を抱くことができた。しかし、いざ自分たちが育った時には、社会には夢を抱かせる余剰やきらめきはなく、失われた時代などと言われている。すれ違ってしまったような、乗り継ぎ券を受け取り損ねたような。人から離れて、経済や情勢で社会はオートマティックに動いてゆく。「さよならロストジェネレイション」や「転がる岩、君に朝が降る」の「初めから持ってないのに胸が痛んだ」というところと通ずるものがある。生まれつき何かを剥奪された感覚。

後藤さんがそう感じてから約20年経って、リーマンショックを経て、少し景気が回復した今、私は同じところに立っている。今乗っている電車はなんだろう。どこへ向かうだろう。行き先を忘れる勇気が、まだない。

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