10.月光

とにかく美しい。イントロのピアノの残響が拡大されて楽器が重なってゆくところは、神秘的な月光の筋が降り注いでくる様をイメージさせるし、言葉も繊細で心に寄り添うものが使われている。「おおきいおともだちのための子守唄」とでも言うべきか。

季節は夏、作中主体は夕立や、その後の雨のやんだ夜を眺めている。大降りの雨が降ってきて、でも空は土気色の奇妙な明るさをしていて、やんだと思えばアスファルトからヌメヌメした暑さが湧き上がってきて、でも秋の訪れのような涼しさが吹いていて寂しくなって…。夕立といえばフジファブリックの「陽炎」を思わずにはいられない。夕立に予定を狂わされた子供時代が、それすら楽しかった時代が、誰しもあるのではないか。秋晴れのように快適ではないのになぜか嫌いになれないのは、ノスタルジックなイメージが染みついているからかもしれない。

そうした季節はもう戻らないものであり、大人になった作中主体は静かな夜に孤独を感じている。入試の時、就活の時、様々な選択に迫られるときに、幾度も遥かなものに触れ、出会いと別れ、失敗や心残りを繰り返し、圧倒され、後ろ髪を引かれ、それこそ訳もなく、悲しみは心に忍び込み、途方に暮れてしまう。

涙が溢れて初めて自分の想いに気付くという皮肉。自分の感情にすら鈍感になっている自虐。
そうした淀んだ自らから生まれる感情も、無機的で体温のない、血の味のしない(「生者のマーチ」より)社会との摩擦で起こり続ける痛ましいことも、かき消す方法がわからない。

「最後の時」という語からは神聖なもの、強い力を感じる。現実に対するジャッジが行われて、しかし夢(現実ではないという意味)ではないから、終わりは見えない。その中をさまよう作中主体を月光は照らし、月うさぎは見守っている。

願わくば、フジファブリック「陽炎」とアジカン「路地裏のうさぎ」を同時に聴いてください。

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