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指先に光を灯す ダイバー・イン・ザ・ダーク


久しぶりに夜更かしシリーズ。
私は手帳を見返して、一年前の自分を思い出す習慣がある。

去年の今頃、私は何をしていたか。

冬の早朝、私は魂が抜けたような顔で大好物のメロンパフェを前に座っていた。
職場ヒエラルキーの上にいる方々と面接を終え、ひどく疲弊。そうなると予想して、もちろんこの後はお休み。

パフェのひんやりと冷たい甘み、脳が再び働き始める。

あの時のパフェ(写真とる元気あったのかよ!)


「時は来たれり」。

全力を尽くしたけれど、もうこの職場には未来がない。
手放すものを指折り数えてみる。

この十年余り、なりたい自分に向かって努力してきた。
秀麗な糖衣で積み上げた信頼。
専門性を上げるため、仕事をしながらサテライトキャンパスに通い、単位を取った。
そうまでして、掴みたかったみんなの未来への希望。
そこそこ恵まれていた人間関係。
そしてこの年の社長奨励賞(仮名)は、私たちのチームの指先からすり抜けた、あと一歩の所で。
でも、これ以上光の差さない海底で潜水を続けていたら窒息するね、減圧症のダイバーだ。

分析終わり、転職の準備だ。

こうなると私は早い。

フルーツパーラーを後にし(パフェって人を元気にする食べ物)、転職活動用にパンプスを一足を買い、必要な書類を取り寄せる。

ずっとこうやって生きてきたし、これからもそうだ。

いつも組織に属しているようでいて、そうでもない。正規軍じゃない、傭兵部隊みたいなもの。専門職のはしくれだから、基本、専門性やスキルに磨きをかけ、自分の腕一つで仕事を取るしかない(給料は激安、絶滅危惧種みたいな業界でね)。
この職場ではいい仲間に恵まれて、少し長居しすぎたし、柄にもなくムキになり過ぎちゃったな。
でももう出発する時だ。

同時にパッと閃くのは、
「ここまで頑張ってきた自分に、ご褒美が必要じゃない⁈」
というパワーワード。
私は痛い時ほど、転んでも絶対ただでは起きない。

「あのブランド、見に行く時は今では?!」とスーツ姿で疾走する。香水瓶を模したデザインのジュエリーブランドのポップアップストアを目指して、いざ新宿。

そうやって私の元にやってきたのが、青い石の指輪。


人差し指の指輪が私の光、ブルートパーズ。


ブルートパーズの透明感にまず惹きつけられる。四角い金具は、店員さんの言う通り、意外にも着け心地がよく、するすると私の人差し指にも薬指にも馴染む。
聡明で美しい指輪だと思った。
しなやかに寄り添うが、まつろわない輪。

いつも着けるわけではないが、時々、この指輪を眠る前にそっと箱から出して眺める。石の静かな光になぜか癒される。

子どもの頃、プールで潜水して水底から太陽の光を見上げるのが好きだった。
水中に差し込むスポットライトのような光、水面にキラキラと躍る輝きを、音の無い静かな水中から眺める。光のダンスだ。
コポコポと泡を吐いて浮上し、がばりと大きく酸素を取り入れて、また潜る。
私は海の生き物、とくにシロイルカが大好きなんだけれど、好きなだけじゃなく、私自身が何かしらの海の生き物だったように思う。

指輪は、私の指先で瞬く小さな光になった。
光を見上げることを忘れないためのお守りにしよう、息を止め過ぎないように、暗闇に深く潜りすぎないように。

飲み込まれる前に浮上して呼吸をしよう。

「あわい(間)」という言葉があるけれど、社会や他者など「周り」と自分との間、境界が曖昧になるのは危険なことだ。
自分の周りに良くない慣習やおかしいと思うことがあっても感覚が麻痺したり、ノーと言えなくなってしまう。

感情が凍りつき、「断る」言葉が喉から出ない時にそっと見上げる私の光。
この先も光と闇が入り乱れた世界を生きる。
闇から目を逸らせない私は、それでも光に向かって泳ごう、決して見失わないように。
いい人も悪い人も、良きことも悪きこともあるのだとして、混沌の中で何を見るのかは自分で決められる。
そう、光のある方へ。


やがて春がきて、私は前よりも少しだけ、未来が明るい職場に転職を決めた。
大きな窓から緑が見え、光がよく入るオフィス。年収がかなりダウンするのでいい事ばかりではないけど、節約しながら、また一から積み上げていけばいい。

退職する時、旅に出るような気軽さでありとあらゆるもの(私の荷物はたいてい少ない)を片付けた。
直属の上司はいい人で、辞めますと伝えた時、ちょっと涙ぐんでいた。
問題はその上の上司で、野心家の彼女が描く職場の未来図に、私はきちんと絶望した。
上だけを見上げて独走する彼女の周りは、荒涼とした砂漠(パリダカール・ラリーか)。もはやサバイバルレースで、櫛の歯が抜けるように、順番に周りから人が欠け始めていた。

この上司から、私の転職に対し遠回しに怒りを滲ませたメールがきたが、「ちょっと何言ってるかわからないですね」と嫌味には気がついてないフリをし(私にはマウントされても気がつかないというハッピーなチート能力もあります)、丁重にこれまで感謝を述べたメールを返して(同業他社に行くからね)やり過ごした。

今まで厄介な仕事を急に無茶振りされることに、ウンザリはしても、ずっと怒らなかった。
私はちょっとおバカなので、平然と応じるスパダリな自分が、挑発に乗らないし脅されても屈しない自分が好きだった。
でも私よりもっと立場の弱い人を、雇用を盾に意のままに操ろうとするやり口は受け入れない。

トップの人達の願望を叶えるために、部下たちの人生を使い果たしてもいいとは思えない。

世の中は基本、不公平で不平等なもの。
けれど、私は心の中にいつも、アストライアの正義の天秤を持って生きている。黙っちゃいないんだ、私のアストライアがな!
だいたい私はいつも、失う物なんか、何もないしね(自慢にならない、困った人だ、もっと何とかせえよ)

「愛がなくても喰ってゆけます。」よしながふみ



仕事をする相手が、人として信頼できるかどうかが、一番大事な基準だったと伝えると、戦友たちは苦笑し、それぞれに転職を祝ってくれた。
最終日、メッセージ入りの巨大なパン!(どやって食べんの、これ)や色紙、リースの入った紙袋を抱え、お世話になった作家さんの個展に顔を出し、小料理屋で仲間に比内鶏の炭火焼きをご馳走になった。
人を苦しめたり傷つけるのも人だし、人を幸せにしたり感動させるのも人なんだよね。

自問自答ファッション講座を受けたのはさらに後だが、その前から自問自答は始まっていた。

無くしかけていた自分のアイデンティティを取り戻すために、あの指輪を手に入れたのだとすれば。
光を求めて目を開ける前から、瞼は光の存在を感じていた。


アキュートアクセントを知ったのはこちらの記事↓



次の旅に行ってきます✨またいい記事書きます。おもしろきこともなき世をおもしろく、が合言葉!