ある友人は私に、笑いながら自殺しそうだと言った。

 最近、父が心筋梗塞、糖尿病、脳梗塞を患っている事が判明した。
 多分、来年超えるくらい生きられたらいいねって言いたくなるくらい。先がない様子だ。

 私は先がないと見てとれる父に。(小さな私の兄弟が心配で、何かあったときに助けたかっただろうに悔しいだろうな)と、そう思い。

 不条理な世の中に怒りを覚えた。


 また本日。社会人として配属する前の講習にて私は、人一倍多くの失敗をした。

 その時に怒られながら思ったのは。こんなポンコツな私のせいで迷惑をかけて申し訳がない。だった。

 わかるだろうか。

 私の感情の発生源は他人を中心としている。
 
 父の先が見えないと知れば普通ならと考えると。
 父が居なくなる寂しさと現実に悲しむべきだろうに。私は父の悔いを感じ世界に怒りを覚えたのだ。

 また上司に怒られたなら。恥をかいたと悔しさを覚えるか、その辱めに辛さを覚えるべきなのかもしれない。けれども私は私のせいで損害が発生しうる可能性を見て会社を憂いたのだ。

 昔はもっと自分を中心に感情が出ていた。
 母が怒れば私はうるさいと内心怒っていたし。
 兄弟が私のものを壊せばキレ散らかした後に壊れた事実にしばらく落ち込んだものだ。
 祖父が居なくなった日は三日三晩泣いたものだ。

 だが今はどうだ。最後に自分のために感情を動かしたのはいつだったかも覚えてない始末。
 今の私は私がどうでもいいのだ。

ん? あー訂正。

 私は私がどのような境遇になっても「だからどうした?」と思うようになっているのだ。

 何故か。

 心当たりがある。
 それは私は私自身が立てた大きな目的を4年前に達成したからだ。

 四年前、既に燃え尽きている。

 そう言い換えられるかも知れない。

 私が今を生きるのは父がこの死に目を見たくないだろうなという考えからのもので。

 父が居なくなった暁にはきっと。私は興味もないのに行った(母に行かされた)学校で背負う事になった奨学金という義理を、果たそうか果たさず消えようか迷いながら。

 幼少から抱いていた「死んだらどうなるの?」という興味に惹かれるだろう。

 私はどっちを選んでも30代に届かず死ぬのだろうなと漠然と思うのだ。

喜べ御名答だ友人よ。
私はきっと笑いながら死ぬだろう。
個人的な目的を達成したこの人生で。幼少からの興味を全てが消えゆく中で確かめられるのだから。


 追記。私の感情が他人が中心だとしても。行動原理は自己中だぞ⭐︎
 自分が死んだことで起きるであろう誰かの不利益や、社会の損失、誰かの悲しみなんぞクッソほどどうでも良いからね

 

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