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命の選別

どんどんダークになっている気もしなくもないです。(鬱屈王)

人工呼吸器しますか、しませんか

テレビでは大学病院ICUの待合室で、高齢者のご家族に「人工呼吸器をしますか、しませんか」という酷いことこの上ない、命の選択をするシーンが取り上げられています。高齢者のCOVID-19の患者さんのご家族との会話です。同時に交通外傷で運ばれてきた20代の方のシーンが並べられながら。当然、これは時系列が同じとは限りません。しかし、お茶の間でテレビをみる健常者の皆さんには、テレビドラマのようなことが本当に差し迫っていることを伝える強いメッセージとなっています。

よくイメージされるのが、近年話題となった、マンデル先生じゃなくてサンデル先生の「トロッコ問題」です。

暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」……つまり「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」
https://ddnavi.com/news/321617/a/ より抜粋

1人の命を犠牲にしても、5人の命を犠牲にしても心は痛みます。結局自分が手を下すことになるからです。
医師は類似した判断を求められているようにも見えます。
今回は、高齢者と若者のどちらを救うのか、高齢者の方がVIPであったり、若者が成人式で羽目を外してオートバイで転倒したとすれば変わるのでしょうか。
この場面は医師ならば、そんなのはどうでもよくて、どちらが助かるのかを考えながら、二人とも助けようと戦略をたて、最大限の努力を尽くすでしょう。その結果が辛いことになっても、全力を尽くすのです。ああするしかなかった。これがその時の最善だった。仕方がなかった。この最大限の努力は自分自身への免罪符のようなものでもあるでしょう。しかし、つらい現実が待っています。

いずれにせよ訴訟になる

昔であればそれで許されたかもしれません。しかし、必ずいつかその日がやってきます。「その判断は妥当だったのか」という訴訟です。大切なご家族を亡くされた気持ちはよくわかり、訴訟は納得できることです。
何年も前から毎日銃口を突きつけられて仕事をしている僕たちにすれば、ついにロシアンルーレットが自分の番に来たのかと、覚悟を決めて仕事をするしかないのです。命の選択は自分の命すら覚悟しておくこともあるのでしょう。はたして保険会社はお金を払ってくれるのでしょうか。

命の選別はICUで起きているのか?

こういった命の選別は、全て救命センターや、大学病院で起きているのでしょうか。確かにそう言う大きな施設ではわかりやすいでしょう。
しかし、最も沢山起きているのは保健所だと思います。電話で連絡をとり、危ないと思ったら搬送を依頼、受診を依頼、どこも受け入れ困難。医療機関に繋ぐことができないまま患者さんは急変。どうすることも出来ない。今度は別の患者さんが状態悪化。今度はどちらを先に搬送すべきか考えなければならない。頼む、頼む、どこか受け入れてくれ。
毎日保健所長から悲鳴とも言えるメールがきます。重症を受けて欲しい。病床を増やしてほしい。職員は病んで来ている。保健所も機能しなくなってきた。どうかどうか、助けてほしい。

爆発的に増える患者さんに対して現状を打開するには、そのあたりにある出来るだけ沢山の病床をあけることです。しかし、日に日に増える患者さんの勢いが全く衰えません。焼け石に水状態になりかねません。受け入れが不慣れの病院からアウトブレイクしていまえば、結果として少しずつあけていくメリットが割にあわなくなるかもしれません。

命の選別とは

命の選択は病院や保健所がしていてるのでしょうか。しかし、どんなに病院が力を広げても限界があります。全てをコロナの為に解放できないのは何故でしょうか。まず、圧倒的に数が多いことです。そしてそれは日常診療を守るため、そう、「いつも通り病院に来れなければならない人」を守るためです。

いつも通り受診できる人の後ろでも、どこかで病院に来れなくて泣いている人がいます。
いつも通りの暮らしをおくっている人たちから感染が広がり、どこかで病院に来れずに泣いている人がいます。

経済を優先する人、そうでなければ生きていけない。その後ろで病院に来れなくてどこかで泣いている人がいます。

病院は入院した患者さんしか治せません。夜のニュースで医療従事者にエールをおくっても、患者さんを減らすことは出来ません。

命の選別をしている人は、生き残っている人そのものです。まさしく貴方でもあり、私でもあります

それは罪ではありません。ただそういうことです。仕方がないのです。

私は命の選別が嫌いです。

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