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「寝言」を「道徳」にするには?

 最近読んで衝撃を受けた本の一つ清水大吾さんの「資本主義の中心で資本主義を変える」です。

 帯にもある通り、資本主義や成長主義の象徴のような米国GS社で働き続けた清水さんの体験と、そこから考えた日本と米国との違いが非常に面白かったです。実力主義ではなくコネや忖度の村社会が未だに蔓延る日本。挑戦せずに安定することを選び、そのくせ短期での結果を求める日本から、少しずつ変わっていけるか、という「問い」が書かれた本です。資本主義を変えるというよりは、資本主義本来の持ち味を乗りこなす本と思って僕は読みました。
 
 さて、この本の中で著者の清水さんが引用しているある言葉があります。

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である

二宮尊徳

 頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
 この言葉を「社会のためになることをすること」と「利益を得ること」は、どちらか片方だけでもダメだし、「儲ける」と「結果的に儲かった」とでは全然違うという話で清水さんは使っていました。儲けるために手段を択ばずにお金を儲けて、それから何か社会のためになることをやっても意味がないし、信頼が生まれない。更に「儲かる」からスタートしているので、収益が減ると協力者は減っていく可能性もあるそうです。
 それに対して、「社会のためにこういうことをしたい!」と言って、進んでいる場合は「それだけの価値があるから、喜んで対価を払うよ」と言ってくださる方が出てくる可能性があるし、持続可能性も生まれやすいそうです。もちろん、これは、個人や一企業でするには、難しいと清水さんは語ります。
 じゃあ、どうすればいいのか?
 同じ志を持つ仲間を増やしなさい、挑戦を否定する環境ではなく、応援してくれる人がいるところに身を置きなさい、ということが本の中で語られています。

 自分の場合は、どうなんだろう、と考えました。

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