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【あの卒業生は今】 天野 耕太さん

【あの卒業生は今】vol.12

大学3年のときに選んだ「退学」という選択。
その後も桜美林大学への強い思いやりを持つ天野耕太さん。
天野さんがみる「桜美林大学」と現在のお仕事についてお話ししていただきました。


-自己紹介をお願いいたします。

1995年に桜美林大学国際学部に入学しました、天野耕太です。現在はLiftoff Mobile株式会社で日本と韓国のカントリーマネージャーを務めております。よろしくお願いいたします。

-大学時代の思い出を教えてください。

国際学部が徳望館にあったことから、学年を跨いでの交流が盛んでした。今でも入学年度が同じ同期との交流が続いています。記事でも紹介が既にされていた、2つ学年が下の渡辺さんや野村さんとも交友関係がありました。他の大学のように大きな講堂で授業を聞くだけではなく桜美林独特のアットホームな雰囲気である事も人間関係を密に形成できた理由なのかなと思います。そんな環境で今でも繋がっている交友関係が築けたことが一番の思い出です。


-お仕事は何をされているのですか?

インターネット広告の仕事をしています。
何回か転職を繰り返していて、Yahoo Japanに勤めていた時期もありました。
今は、5年弱前に立ち上げたアメリカのシリコンバレーのインターネット広告の会社(スマートフォンアプリのインターネット広告)の日本支部と韓国支部の立ち上げを行い、両支部の統括をしています。
これまで働いていく中でさまざまな面白さや経験がありましたが、今回の仕事では、自分の国以外の仕事ができると言うチャンスをもらえたことが今のステップでは面白い点だと感じています。
韓国支部での仕事は、お客様やビジネスパートナーも韓国の方が殆どです。何より、韓国のメンバーを採用して自分の部下に現地の方がいる状態です。自分の国とは違う国、違う文化を持つ人を部下として育てるなどコミュニケーションを取りながら働くことは学びが本当に多いです。


-今のお仕事をするきっかけはありましたか?

工業デザイナーをやっていた父親の影響でデザイナーと言う仕事と、世界を飛び回って仕事をすることに憧れと興味を持っていました。
両親とは違い自分には才能がないと思っていたのでデザイナーは無理だと考えていましたが、大学に進み、自分の学部の勉強をしていてもずっとデザイナーやデザインへの興味は消えませんでした。そんな中で、インターネットの世界にはウェブデザインなどデザインをできる仕事が多くあることに気がつきました。今まで考えていた「アートな意味でのデザイナー」ではなくデザイナーという枠が広いことにも興味を持ち段々とインターネットの世界で仕事をしていくことに近づいていき、今に至ります。

-桜美林大学を退学されていると伺いました。

大学3年の時に退学しました。きっかけは家族との些細な不和です。今ではとても仲良くしていますが、当時は両親に憧れていることや、長男だったこともあり両親に気に入られるように意識することや、顔色を伺ってしまうことについて自己嫌悪を感じている時期でした。
桜美林大学に進学したのも、母が桜美林大学の校風を気に入ったことや、両親に留学を勧められていたのでその制度が整っている大学に進学しようと考えたのがきっかけだったのですが、そんな両親の意見ばかりを聞いてしまう自分に大学3年生ぐらいの時にふと気がついてしまい、遅れてきた反抗期のように両親と異なる意見を持つ事が多くなっていました。
そんな時にした父親との言い争いがきっかけで、いつか学びたくなったらまた自分で大学に入り直せば良いと思い、退学を決めました。決断した私を両親は止めましたが、そのまま退学しました。
ただ、大学が好きだったので退学後も同期や下の学年の子たちに会いに頻繁に大学に顔を出していました。私が退学をしたことを知っている先生も気にかけてくださっていました。

-お話を聞いていると「桜美林への想い」が強く感じられます。

そうですね。些細なことがきっかけで退学を選びましたが、桜美林大学への想いは強いです。
仕事をしている時に、桜美林大学出身の方と出会うと嬉しくなります。
今でも、大学時代の同期とのLINEグループで毎日やりとりが続いています。
当時よくいた徳望館のことも話題にあがり、同期たちと一度桜美林大学にも行きたいと思っていました。
社会人になり、時間や金銭的にも余裕ができた中で、桜美林大学に何かできないかと考えていました。現在都心へのキャンパスが増設されている状況を見て、復学できないかと大学に連絡を取りました。そのくらい今でも思い入れが強いです。

-今でも桜美林大学への思い入れが強いのは、大学時代にご友人と過ごされた時間が印象的だったからですか?

はい。青春時代を一緒に過ごしたということが第一にあります。また、桜美林大学で出会って今も繋がりがある方はユニークで尊敬できる方ばかりです。みなさん業界は違いますが、常にチャレンジをし続けている人が多く、今でも会うたびに未来に向かった新しいチャレンジの話ができます。常に「新しいことを始めた」、「こんなことを始めたい」という話題が出てきます。しかし、他の繋がりの知り合いに会った時に出てくる話題は昔話ばかりです。仕事の話を振った時もあまり盛り上がらず、あっても愚痴ばかりになってしまいます。
そういった面でも、桜美林大学の方はチャレンジ精神があり、面白い方が多いことがわかります。そんな方々と出会えた桜美林大学自体も面白い大学だったと思うので今でも思い入れが強いです。

もう1つ思い入れが強い理由があります。大人になってから実感したのですが、カリキュラムも含めていい大学だったと思っているからです。この点に関しては、当時活用しなかったことをとても後悔しています。桜美林大学は、カリキュラムも含めて常にチャレンジをし続けている大学です。例えば、英語教育に関しては当時からネイティブの先生と普段の生活でインタラクティブにコミュニケーションを取るなど面白い仕掛けがたくさんありました。
今、実際に外国人と英語でやりとりをしながら仕事をしているのですが、なぜあの時に大学が与えてくれた環境を活用しなかったのだろうと後悔しています。
後悔するぐらい良い環境やたくさんのチャレンジがあったことも桜美林大学への思い入れが強い理由です。

-今の大学生に伝えたいことはありますか?

1つ目はコロナ禍になり、オンラインの環境で、本来大学で得られるものと違う経験をしていると思います。
そんな中でも大学は色々なことにチャレンジしていると思うので大学が提供してくれる機会を活用してほしいと思います。
得た機会がどんな未来に繋がっているかはわからないので、積極的にチャンスをつかんでみるべきです。
2つ目は、たくさんの人と出会ってほしいです。大学時代の人脈はその先でも大切になってきます。大学での人脈形成の方法は社会人になっても活用されます。高校までのクラスがある状態から人脈を作っていくのと、自分からアクションをする大学の自由な人脈形成の仕方は全然違います。大学の人間関係の作り方に慣れておくと社会人になってからも活かせるので、積極的に行ってほしいです。
3つ目は、シンプルですが、英語です。
英語でコミュニケーションを恐れずに取れるようになっておくといいと思います。
文法が間違っていても、英語でコミュニケーションを取れるとその分チャンスが増えます。
早い段階でやっておくと、他の言語にもチャレンジできる機会ができるのでこの時期にやっておくことがいいと思います。

-今後の目標はありますか?

今後もずっと学び続けて、新しいことを得続けていきたいです。
学びが何もなかったら、いいポジションに就いても、いい仕事をしても転職したくなってしまうと思います。10年後20年後にどうなっていたいよりも、
日々自分をアップデートしていきたいと考えています。

また、外資企業に勤めていることもあり、日本の人材育成にも興味があります。若い人材にチャンスを与えることができる立場にあったらそうしたいです。特に若い人に向けて何かできたらという漠然とした想いがあります。

-最後の質問になります。
あなたにとって、桜美林大学とはどんな場所ですか?

パソコンやスマートフォンのOS(オペレーティングシステム)みたいなものですね。当時の思い出も大切ですが、自分もそこで出会った友人たちもお互い成長して関係も最新のものにアップデートし続けていて、現在進行系で常に刺激を与えあえる人たちと出会えたのが桜美林大学です。


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