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【あの卒業生は今】 岡村 実和子さん

【あの卒業生は今】vol.19

「食わず嫌いよりも、食べてみてから。」そう言った岡村さんにインタビューをし、現在の職業や学生時代についてのエピソード、海外での暮らしについてお聞きしました。

-自己紹介をお願いします。

 2009年度に総合文化学群(現:芸術文化学群)の音楽専修を卒業しました、岡村実和子です。主科は声楽でした。今はイタリア北部ボローニャという街に住み始めて5年目になり、オペラの勉強をしています。今年の11月からは音楽院(日本でいう音楽大学)に心機一転入学し20代の世界中から集まってきた学生達と一緒に授業を受けています。

 
-いつから声楽を勉強されているのですか?

 小学生の頃はSPEEDに憧れてアイドルになりたかったんです(笑)。その時は合唱部に入っていて、一緒にSPEEDになりたいと言っていた友人と育ちました。中学生まで一緒に合唱に通っていたのですが、その友人が高校入学後に突然「ボイストレーニングに通うことにしたの」といって歌手を目指し始めました。羨ましいなと思ったけど、当時の私は彼女と同じことはしたくなかったんです(笑)。元々ポップスをカラオケで歌うよりも合唱で歌っている方が自分に合っていると思っていたので、高校2年生の時に声楽のレッスンに通うことにしました。その後は桜美林大学で本格的に声楽に取り組みました。
 

-なぜ桜美林大学に入ったのですか?

 高校3年生になって進路を決める時に音楽も服飾の勉強もしたい、絵も描いてみたい、語学もやってみたいとなんとなく思っていたので、総合大学のオープンキャンパスで音楽系の学部のある大学や、桜美林大学を見に行きました。色々な大学を見て行く中で1番印象が良かったのが桜美林だったんです。
 当時はひなたやまキャンパスはなくて、町田キャンパスだったので様々な事を学びたかった私のイメージにピッタリでした。指定校推薦で入学しました。
 
 
-学生時代の思い出はありますか?

 入学して、声楽を教えてくださる小林玲子先生に出会いました。当時玲子先生はイタリアから帰国されたばかりで「日本語で言葉がでてこないわ」という感じだったり、玲子先生の歌声をオフィスから漏れてくる歌声を聞いたりして、とてもかっこよくて声楽をがんばろうと思ったんです。でも最初の1、2年は、歌う場がなくてあまり楽しくなかったんです。それを玲子先生に伝えると、何か企画してみればいいんじゃないかとなって「この指とまれ!」とコンサートをやろうと仲間を集めたら結構人が集まったんです。そしてコンサートのチラシを自分たちで作ったり、曲を選んだり、お客さんを呼ぶのがすごく楽しかったです。そしてそれをきっかけに友達もできて3、4年生はとても楽しい日々でした。そのコンサート「APPOGGIAMO(日本語で支え合おうという意味)」は今も小林玲子先生の門下生コンサートとして行っています
 

 -今に活きている学生時代の経験はありますか?

「canから選ぶんじゃなくて wantから選べ」ということを意識しています。コンサートの「この指とまれ!」も、やりたいと思って行動したから実現したことです。食わず嫌いよりも、食べてみてから。毛嫌いするんじゃなくて、なんでも手を出してみた方がいいと思います。私はその結果が声楽でした。


-卒業後はどのような活動をされていましたか?

卒業後は、アルバイトをしながらオペラの勉強をすると決めていたので、2年間は、昼間は家電量販店でアルバイトをして、夜間はオペラの研究所に通っていました。
 アメリカに行く機会があり、英語と声楽を科目等履修生として一年間学びました。帰国しても、歌の仕事がなく、3年くらいは電気屋さんでアルバイトをしながら、土日は歌の先生をしていました。2016年に日本で受けた「イタリア声楽コンコルソ」でイタリア大使杯という賞をいただくことができ、少しづつ自信がついてそこからはコンクールやオーディションを受け始めました。そうして2017年4月に開催されたイタリア留学助成金を頂ける「さわかみオペラ芸術振興財団」の試験に受かったのです。その結果2017年9月にイタリアに渡りました。

-イタリアに住んで感じたことはありますか?

 イタリアは電車が2時間遅れても理由も言わず「ごめんね」くらいの感じですし、ストライキも頻繁に起こります。私たち日本人からすると信じられないですが「まーなんとかなるっしょ」という考えが好きです。コロナ禍であっても「誰のせいとかじゃない、きっといつかこの病気が終わる日が来るよ」といつも前向きでした。あんまり細かく考えない、誰かのせいにしない考え方が私には合ってるかなと思います。


-コロナが流行しましたが、お仕事に影響はありましたか?

 2020年の歌う仕事は全部キャンセルでした。私たちは公演の一年前位にオーディションをするので、2020年にオーディションが出来なくなって2021年に歌えたであろう仕事がなくなってしまいました。2021年の夏くらいにはオーディションやコンクールが再開し始めました
「できることはやろう」という精神で耐えた2年間だったと思います


-そんなコロナ禍でどのようにモチベーションを維持していましたか?

 歌をやめて日本に帰った方がいいのかなと思ったこともありました。でもその間も奨学金を頂いてたので、人の期待を背負ってるから「ここでやめちゃだめだ」と思ったり、「きっとライバルたちは今も練習してるから、負けないぞ」という精神で頑張りました。もちろん波はありましたが、有名な方は公演できていたのでそれを観に行って勉強したり、そこまで有名になれば歌える日が戻ってくることを糧にしていました。
 結果、自慢じゃないけど……自慢なんですけど(笑)2021年の7月にイタリアで受けたコンクールで1位をいただくことができたんです。コロナ前も2回受けて良い結果が得られなかったのですが3度目の正直で1位を取れました。本当に続けててよかったなと思えましたね。


-お仕事のやりがいはなんですか。

 みなさんが言うことかもしれないですが、歌うことが楽しいというのももちろんあります、でもその先にあるお客さんに喜んでもらえることがやりがいです。
 日本にいる時、歌っていて「場の雰囲気が違う」と感じたことがありました。自分の声が会場に響いてお客さんと一体になった感じでした。これがなかったら続けてないと思います。私の声を聞きたいと感じてくれる人が一人でもいれば、やりがいになります。
 そして、イタリアでは私は外国人で、日本で言えば歌舞伎や阿波踊りを外国人がするような物なので、怖かったこともあります。イタリア語で流暢に歌わないといけないのもあります。しかし、イタリアの人は受け入れてくれる人が多く安心しました。でも最初は怖かったですね。


-今後の目標はなんですか。

 ここ数年の目標は、イタリアの歌劇場で歌うことです。コンサートとか小さいオペラでは沢山歌ったことはありますが、まだ国立劇場ではないんです。それには、まず事務所に入らないといけないのですが、事務所に入るにも外国人にとっては大変です。頑張って事務所に入って歌手としてキャリアを積んで、いつかは指導者の立場になりたいと思っています。できれば桜美林で玲子先生に私がしてもらったように、私も後輩達に教えたいなと思います。


-あなたにとって桜美林大学とは。

 原点です。
 今の私があるのは、桜美林大学のおかげです。コンサートを「この指とまれ」で企画したこととか。玲子先生やほかの先生方にもお世話になり、音楽を素晴らしいと思えるようになったり、友人達も今でもかけがえのない存在です。

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