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【あの卒業生は今】 吉原 康太さん

【あの卒業生は今】vol.11

ラクロスと共に過ごした大学生活。
その後、社会人リーグでもベスト10プレイヤーに選ばれ、全国2位を獲得した吉原康太さんに桜美林大学男子ラクロス部での思い出と、ラクロスが結んでくれた縁についてお話しをしていただきました。


-自己紹介をお願いします。

2008年度に経営政策学群ビジネスマネンジメント学科を卒業しました、吉原康太です。
卒業後は横浜信用金庫に勤めています。


-大学時代の印象的な思い出はありますか?

当時所属していた、男子ラクロス部で3年生の時に主将を任されたことです。
男子ラクロス部では引退は4年生ですが、3年生が主将を務め、部活の運営を行なっていました。それまで私はずっと寝坊が多く練習に遅刻してばかりの学生でした。しかし、先輩たちが目に掛けてくれていて主将を任せてもらえることとなり、自分自身も変わらなければと思いました。また部の目標であった「2部リーグ昇格」を達成するためにも強いチームを作らなくてはいけないという思いも同時に芽生えました。立場ができたことで、ラクロスや部の一員としてより一層身が入ったという経験が思い出に残っています。
また、私たちの代は過去一番部員数の少ない代と言われていました。ラクロスは10人でやる競技ですが、ベンチも含めて20人いないと試合登録ができません。しかし、私たちの代は14人だけでした。試合当日に他の部活に所属している友達に助っ人を頼んで試合には参加していました。そんな状況の中、3年生の時に2部との入れ替え戦まで進むことができました。その時は一歩及ばずでしたが、4年生の時にまた入れ替え戦まで進み、ベスト10プレーヤーと3部の得点王に選ばれました。
朝練やナイター練習などの部活の時間以外にも授業の合間や授業終わりに、グラウンドの端を借りて毎日2時間ほど自主練をしていました。私の大学生活はラクロスに明け暮れた日々でした。


-男子ラクロス部に入ったきっかけとはなんですか?

新歓がきっかけです。
スポーツはずっと得意で、大学入学を機にアメリカンフットボールをやりたいと考えていました。新歓時期にアメリカンフットボール部の先輩たちに勧誘されたくて、部で勧誘をしている先輩について行ったりしましたが、当時は体格が良くなく、全く勧誘をされませんでした。
そんな中、声をかけてくれたのが男子ラクロス部でした。ラクロスのことをあまり知らず、先輩の「キャッチボールやってみない?」という言葉にただついていっただけでした。
いざクロスを使ったキャッチボールをやった時に、クロスを降ったらボールが真下にありました。ボールがちゃんと投げられていなかったのです。今まで、スポーツはなんでも入り口からできていた自信がありました。この時にラクロスができなかったことが悔しくて、「このスポーツをやろう」と決めました。
また、勧誘の時に「みんなスタートが一緒だから日本代表になれるよ」という先輩の勧誘文句を真に受けたのも入部のきっかけです(笑)


-ラクロスは社会人になってからも続けられたのですか?

社会人になってからも続けていました。
卒業した年は、桜美林でコーチをしていました。しかし、自分もプレイヤーとしてプレイをしたいという気持ちが強くなり、次の年から、2部リーグのチームに参加しました。社会人になってからもありがたいことに、2部リーグでベスト10プレーヤーに選んでいただきました。2部リーグの中でもプレーヤーは数百人います。その中で、選んでいただけたことでもっとハイレベルなところでやりたいという思いが強くなり、社会人3年目の時に1部リーグのチームに所属しました。その年に全国2位という結果を残すことが出来ました。次の年に1位を目指すという考え方もあったのですが、気持ちが燃え尽きてしまい、ラクロスを引退しました。


-吉原さんが思うラクロスのいいところはなんですか?

ラクロスは大学から始める人が多いスポーツなので、みんなスタート時期が一緒です。そのため横の繋がりを大事にしていて、他大学の友達ができやすいです。
大学の名前で、学生のイメージを決めつけてしまうこともあると思いますが、ラクロスの繋がりがあることで、先入観なく他大学の学生とも仲良くなれました。
ラクロスを通じて様々な大学も含めて交友関係を築けたという事が、私の大きな財産になっています。


-現在は横浜信用金庫に勤められているのですね。

そうです。これもラクロスが結んでくれたご縁です。
もともと、桜美林大学に入学したのはホテルマンになりたかったからです。高校の時の進路選択の時に、ホテルマンになるための勉強ができる大学で進学先を探していました。そこで見つけた桜美林大学に、中高で生徒会役員をやっていてことを活用しAO入試で入学しました。
入学後も、ホテルマンになるために勉強をしていましたが、将来のライフスタイルを考えた時に自分の思い描いていた私生活とは離れてしまうと考えたため、別の職業を志すことにしました。
大学3年生になり就職活動が本格的に始まった頃に、私を主将に推薦してくれた先輩が部活の練習に顔を出しに来てくれました。その方の勤め先が横浜信用金庫でした。
当時一番尊敬していた先輩の勤め先ということで、興味が湧き、翌週に大学で行われた企業説明会で横浜信用金庫の人事担当の方とお話をさせていただきました。
そのことがきっかけで就職試験を受け現在に至ります。


-吉原さんが今の大学生に伝えたいことはありますか?

勉強をちゃんとしたほうがいいということを伝えたいです。
最近の新入社員を見ていると言葉や一般常識を知らない新社会人が増えているように感じます。そのため、私自身も学生時代にやっておけばよかったと思いましたが、時事問題に触れることや、文章能力を向上させること、言葉を知ることが大切です。これは20数年間生きてきて身についていくもので、社会人になってから学び始めることではないと思うので学生時代の過ごし方が重要になってきます。新聞や本を読むことを習慣づけることが大切です。
私も社会人になってから上司に指摘されて、本や新聞を読む習慣を身につけました。
社会人になってからも身につけられることではありますが、学生時代に事前にできたことですし、私自身が学生時代にやっておけばよかったと思ったので、今の大学生に伝えておきたいです。


-今後の目標はありますか?

仕事面では、支店長になることです。
ただ、目標を達成するために誰かを蹴落としたり、お客様の不利益になるような行いをしたりなどは絶対にしたくないです。自分自身の力だけでは上には上がっていけないです。その時の上司や部下など周りの全ての人たちがあって上に上がっていくものです。周りの人に感謝をしながら自分のやれることをまっとうした結果、この目標にたどり着けたらいいなと考えています。
私生活の面では、ライフワークバランスを上手く保ちたいと考えています。
コロナ禍になって考えた時に、仕事ファーストで過ごすのではなく家族と過ごす時間を有意義にするために仕事をするという考え方にシフトチェンジしました。
これまでは、仕事での目標を達成するために頑張って働いたから、休みは遊ぶという考え方でした。
これからは最高な休日を家族と過ごすために、仕事も100%頑張ろうと思っています。


-最後の質問になります。
あなたにとって、桜美林大学とはどんな場所ですか?

「自分を成長させてくれた場所」です。
ラクロスを始めたのも挑戦させてくれたのも桜美林大学に入ったからです。
桜美林大学に入ってラクロスを始めたことによって、自分の殻を破ってよりポジティブになれました。
もともとポジティブな人間でしたが、ラクロスをやって、主将という立場を任せてもらえた経験があったことで変われたので、私にとって桜美林大学は自分を成長させてくれた場所だと思います。


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