荒井荒雄を読む①ー統一協会(勝共連合)批判
「日本の狂気ー勝共連合と原理運動」というシリーズがある。偶然第3巻を読み、非常に面白い内容であったので、昭和46年(1971年)2月10日に発行の第1巻から遡って読んでいる。
荒井荒雄は、統一協会批判本以外だと仏教書を書いている人物だが詳細はよく分からない。「日本会議の研究」が一時期、安倍政権を支えている団体について・・ということで話題になったが、日本会議自体は神社本庁なども参加している団体に過ぎない。創価学会と公明党の関係は触れられることが多いが、統一協会と自民党の関係はあまり語られない。なぜだろう?統一協会が自身の教勢拡大に向けて自民党を反共の観点で利用していたことは確実に言える。
本書を読むと、以下のことがわかる。
・Erling Jorstad の the politics of Doomsdayは1960年代に急進した米国極右基督教団体の優れた研究である。
・1970年代、統一協会は学生を洗脳して信者にしたが親からのクレームで威力を弱めたが、勝共連合を旗揚げし、共産主義に対抗する名目で、キリスト教、自民党右派勢力、旧日本軍の軍人の子息たちを取り込んだ。
・岡潔らの名前を勝手に使い、自身の権威づけをした。
・1960年代の統一協会の布教活動では、大学生に布教をさせていたが、学生自体も文鮮明の名前を知らなかった。ただ韓国にキリストの再臨がいるとのみ語っていた。一気に日本で文鮮明の名前をオープンにするつもりが朝日新聞にすっぱ抜かれた。(昭和38年8月17日、東京でメシア宣言を計画するも失敗し、昭和42年4月5日にするといいながら、結局昭和43年10月、ソウルでメシア宣言)
・文鮮明の過去を知ると蕩尽という贖罪のノルマが増えると信者は脅されていた。文鮮明は過去に姦通罪で何度か捕まっている。ただ、もともと韓国には混淫派と呼ばれるsex教団の教祖が文鮮明以外にもいた。(もっと言えば紀元前70年、西洋にもニコラ堂、156年ごろにはモンタヌス派という類似の団体があった。)
・混淫派は、平壌で生まれた。1923年、キリスト教の牧師である李竜道、黄国栓が開始。他にも金百文(聖神神学)もいる。日本統治時代は地下に潜伏していたが1945/8/15以降、平壌市内で活動再開し、そこに文鮮明が登場(金持ちの人妻とセックスし逮捕される)する。
・混淫派には、文鮮明の統一協会、丁徳恩の三角山祈祷団、朴泰善の朴長老教団、金百文のイスライル修道派がある。(朴長老教団は観光の富平で信仰村を作り巨大都市になっている)
・文鮮明は早稲田大学で学び、その時に知った易経や陰陽道を踏まえて教義を作った。イエスキリストによる贖罪の概念が統一協会の教義にはない。
・文鮮明は1958年、弟子の崔翔翼に日本布教を指示。密航後、崔は西川勝と名乗る。大阪、名古屋の順に在日韓国人に布教を実施。東京で雄鶏舎なる時計屋に住み込み布教。だがキリスト教より仏教からの改宗者が多かった。立正佼成会と関係を持ったからだ。統一協会の日本の幹部の大半は元立正佼成会だ。庭野日敬会長が秘書である久保木修己を派遣し教義を学ばせ、立正佼成会にフィードバックするはずが久保木はそのまま統一協会に入り信者も引き抜いた。最初は法華経と統一協会の原理講論を合体させようとしたが途中でやめた。(例えば、理論的指導者の小宮山嘉一(全国大学原理研究会会長)は、統一協会、法華経、神道の融合である「統一球原理」を目指した。この背景には、立正佼成会を裏切り統一協会に転び、祖国日本を裏切り韓国に転んだことの罪悪感がある。だが結果的に「統一球原理」ではメシア=文鮮明が導けず挫折した。文鮮明は小宮山を精神異常者と認定し、日本での布教は原理講論のみとなった。)
・だが西川勝は文鮮明に破門される。理由は、メシア=文鮮明でなくメシア=西川勝と日本では思われていた為。西川は文鮮明に頭を下げ許され、のちに米国布教を行いサンフランシスコの統一協会にいった。だが5−6年で成果は50名ほど。日本での失敗を踏まえてメシア=文鮮明と唱えた布教を実施。米国では日本と違い我こそはメシアというのはいくらでもいるので流行らなかった。
・久保木は日本民族の父母と位置付けられたが、すでに結婚していたのでその時にいた子供はサタンの子供として親戚の養子にされた。
・韓国で統一協会は反共運動により政府の保護を受け、教勢を拡大した。久保木は文鮮明からそのことを教わり勝共連合を作ることにつながった。
・笹川良一が統一協会の反共運動に目をつけた。もともと韓国、台湾、フィリピンを歴訪し現地の宗教事情に詳しく、台湾の紅卍会、大阪の辯天宗にも力を入れていた。昭和38年、日本統一協会の顧問に就任、昭和43年、国際勝共連合の名誉会長となる。だが勝共連合は天皇より文鮮明、日本より韓国が大事なので日本の右翼と相容れない。笹川良一は統一協会に実は疎まれている。また、笹川良一も日本の右翼本流からは疎まれており、韓国ロビイストだと認識されている。更に、岸信介も右翼からは統一協会と付き合うとは頭がボケていると批判されている。
・文鮮明には神通力があり、全身の血を抜かれても生きていたし、朝鮮戦争時に爆撃がなされても死なず、敵対する新聞社は神通力で燃えたという伝説があった。
・文鮮明は共産圏の国に当初は訪問しておらず信者から不満があった。また食道楽が激しく信者は疲弊した。
・文鮮明は日本布教の大敵は池田大作の創価学会だと批判。だが久保木は反共で共闘を創価学会に呼びかけた。しかし池田は無視した。
・統一協会は、日本国内で70年安保闘争に向けて2500丁の銃を購入していた。
・北方領土返還の募金を集め、教団の資金にしている。
・大学に入学し失望した学生を集めることを方針にしている。修練会を行い、外部と遮断し不眠不休で洗脳する。修練会では変死者も出ている。洗脳の果てに共産主義と戦う戦士を育成する。
・成約結婚(=合同結婚式)で、信者でないが参加して金を浮かせる韓国人がいる。
・日本人の韓国への自虐史観と、日本国内の統一協会布教には関係がある。日本=ローマ、韓国=イスラエルなので、韓国には再臨のキリストが来る、という考え方がある。うまく反日と反共を布教のツールにしている。
・天皇陛下を統一協会の信者にしようとした原理研究会会員の女性がいた。皇宮警察により追い返された。
1960年代以降、日本に統一協会が与えた影響は、戦後史のワンシーンとしてかなり大きいものがあるように思う。
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