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遠く長い何かを終えて

ずっとこんな時間が終わらないまま命尽きてしまうんではないかと思った
まともに息が吸えない人生になってから半年以上がたつ、苦しみは地続きだった。
弱い者を救いたいと言っていた、優しい革命を名乗ってた、夢は平和だと言っていた、インテリジェンスを語ってた、大勢の前でそれはそれはご立派に演説なさっているのは、地位も名誉も家族愛も手にしたはずの貧しいひと。ご都合主義は、ただひとしきりの生存戦略だった。

他人の「魔が差した」で、いとも簡単にぼろぼろになる。
同情されるような立場になった、傷物になった、堂々と消えたいなんて言うようになった、恐れは底抜けだった、他人は他人のまま優しかった。
優しさ、強さ、それまでの過程、弱さ、前の向き方、慰め方、励まし方、寄り添い方、ひとりひとりの解釈は違った。

自分の人生に何が起こっているのかずっとわからない、フィクションであればいいと思う、耐え難い痛みはまっすぐに現実だと教えてくれる。
立ち向かった日もある、考え抜いても目の前はずっと暗かった。
小さくても自分で見つけた光を信じることが得意だった、だからこそ、いつまでも光の刺さない暗闇に怯えた。
人生とこれから、自分といままでを照らし合わせても解は出ないままだった。
未だ何もわからない、きっと時間は解決しない。

でも、もう、この事を、話すのは、そして、思い出すのは、やめたい。だから今日はかこう、最後に。

全てに近いものを捨てた、何かを得るための明るい訳ではなかった。

納得がいかないこと、不条理、差別、理不尽、格差は世の中にゴロゴロ転がってる。
しょうじき、わたしは、すこしだけ諦めている。
弱さやズルさ、卑しさ、浅はかさは自分の中にだってあることを知っているから理解できてしまう、責めきれない。不正解を不正解だと言えるほどの正解をわたしは知らない。

人間はいつだって少しだけ間違えて大きく人を傷つける。他人からすれば「少し」の間違いだったのだと思う、そして私は「大きく」傷ついた。そんなもの、で。よくある話、だ。

肥大しすぎた正義感も中途半端な志も権力の前では全くの無力だと知った。無力な自分への絶望をからだいっぱいに抱えた。ずいぶん苦しんだ、ほんとうに、もうだめなんじゃないかとおもった。

関わってきた人たちが必死に支えてくれた。決してひとりじゃなかった、手を差し伸べてくれた声をかけてくれた会いに来てくれた、私よりも怒ってくれた、ものすごく救われた。守ってもらった、ありがたかった。あの時の誰か一人でも欠けていたら、と思うと、ゾッとする。ほんとうにありがとうございました。他人のおかげで、わたしは生きてる。

でも、ずっとひとりだった。何故だろう。

しばらく時間が経った、全部大丈夫になる日を待った。そんな日は1日たりともやってこなかった。
進まなければ、過去にはならない。受け身のままでは進まない。些細なことでさえ進む覚悟を持ったものにのみ機会は与えらることはとっくのとうにわかってた。

仕方ない、進んでやろう。仕方ないな。

大切な人に「幸せじゃない」と言われたら、わたしはかなしくてかなしくてやりきれない、そんなの私も「幸せじゃない」。でも大切な人が笑ってくれたら、わたし、めちゃくちゃ笑えると思う。めちゃくちゃ笑えると思うのよ。

だから、もう誰も泣かないで、笑って。お願いしますよ

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