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大喜利の考え方など②

自分の中で大喜利の考え方が少し固まってきたのでまとめてみました。前回のnoteとは言ってることがまるで違っていたり、矛盾している点があると思うので、一旦前回のことは忘れてからご覧ください。走り書きです。駄文、乱文失礼します。

最近使ってる手法

単語から考えるというのは前回と大きくは変わらないです。まずお題を深く読み込み、情景を頭の中に思い浮かべます。その時に「語感的に」ないしは「距離感的に」丁度いい単語を見つけてきて、それを回答の核にします。

この時、3分大喜利の経験がある人は頭の中で「このお題にはこの単語が合う」「このお題にはこの単語は使えない」のように迅速に単語の取捨選択ができると思います。これはかなり感覚的な力が必要になってくると思うので数をこなすしか無いと思います。

また、単語を選ぶのとは別に同じくらいの大切なことがあります。それはどういう「感情」、「ルート」を使って、読み手に「面白い」と感じてもらうか設定することです。

例えば鰐等大喜利の私のこの回答。お題に「悲しいこと」とあります。普通に真っ直ぐ悲しいことを書いても面白いですが、この場合は絶妙に「日常で起こりそうだけど”なんか悲しいこと”」を書いた方が面白いと感じてもらいやすいと考えました。

このお題では、不眠症になった子役を思い浮かべた時に、子役が何か日常で気になる出来事、それもバッタのような小さな存在に関する出来事のせいで眠れなかったら面白いと感じて、この回答を作りました。おそらくは読み手も私の意図を汲み取って、面白いと感じてくれたのだと思います。

これが「感情」、「ルート」を設定するということです。簡単に言うと、どういう風に面白いと思ってもらうかを明確にしておくということです。

それができたら今度は単語から回答を作っていきます。

最近、長考の上位回答で「、」を間に入れて前後で差を付けるみたいな回答をよく見るのですが、あれは悪手なのではないかなと思います。勿論、それが上手くできていれば面白いのですが、ただ前後でそれっぽい文章をくっ付けた「ネット大喜利っぽい」だけの回答は個人的にはあまり好きではありません。それがネット大喜利だと思われてたらちょっと嫌です。

自分はお題から得たインスピレーションにどんどん要素を付け足していくような回答より、そのお題からしか思いつかない、一文字も無駄が無い、「お題から取り出した」ような回答が好きです。これは少し尖った考え方かも知れませんが、お題にはそれぞれ正解となる回答が決まっていて、それを一文字も間違えずに「取り出す」のがネット大喜利なのではないかと思います。

ですので、単語を思いついた後は前半の文章を考えて、その後に後半を考えるのではなく、一気に奇跡のような面白い文章を「感覚的に」導き出す必要があると思います。これは五能ファイアさんがおっしゃっていた言葉なのですが、前半の文書を考えてから後半の文章を考えると、前半の文章をお題にした別の大喜利になってしまいます。それでは本当のお題にピッタリと合致する回答は出来上がりません。

また、ネット大喜利において何を面白いとするかですが、ネット大喜利にはネット大喜利でしか感じられない「感情」があると私は思います。それがネット大喜利の「面白い」の正体です。よくネット大喜利は俳句や短歌に近いとおっしゃる方がいます。
しかし、それはネット大喜利と俳句や短歌が私たちに齎す感情が似てるということではありません。「その競技でしか得られない感情がある」という点が似ているのです。

ネット大喜利の「なんかいい」と俳句や短歌の「なんかいい」は別物です。そこを混同してはいけません。あくまでも「面白い」ことが大切です。

お笑いにおける「面白い」とも微妙に違う場合があるので、突き詰めるのは難しいですが、それっぽいだけで面白くなかったらネット大喜利をやっている意味がありません。


最後に



以上が最近の私の大喜利の考え方です。少しでも参考になれば幸いです。

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