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大喜利の考え方など

大喜利について思ってることが溜まってきたので羅列していきます。長く大喜利やってる人にはもしかしたら当たり前過ぎて退屈な内容になってるんじゃないかと予防線を張っておきます。

最近使ってる手法

まず私が最近大喜利でどんな手法を使ってるかです。前までは割と文章や語感の気持ちよさだけでやってたんですけど(それよりさらに前は意味だけでやってました)最近は意味と語感の良さで同時に考えるのハマってます。これずっとできたらいいなーって思ってたことだったんですが、やっとできるようになってきました。具体的にはかなり深くお題を読みこんで、そのお題の中に入ったような感覚を得て、その上で「語感的に」ないし「意味的に」ぴったりハマる単語を見つけてきて、そこから練っていきます。この前の大喜利ファイブの回答を例にあげると、「ヤブ医者デビューの日。
さて何しましょう?」というお題で「発泡スチロール」という単語がパッと浮かんで使いました。あんまりネット大喜利に使われる単語ではないのですが、なんとなくピッタリお題にハマっていい感じに回答に馴染んだと思います。


それと、前もどこかで言いましたが、自分はネット大喜利は「お題」という「文章」に対してどれだけ「面白い一言」を言えるか、またはお題という文章をどれだけ一言で面白くできるか、という競技だと思ってます。これは賛否分かれるところだと思いますが、お題に対して”答える”という感覚より、お題に対して何かを”言う”という感覚の方が近いかもです。記号的というか。つまり極論面白ければお題にちゃんと答えてなくてもいいわけです。ネット大喜利では「こんなラーメン屋は嫌だ」というお題に真っ直ぐに「本当に嫌なこと」を書くと票を取りづらいです。如何にして痒い所に手が届くような「嫌さ」を表現できるかだと思います。人が真っ先にイメージする嫌さではなく、「それがお前にとっては嫌なんだな」
「よく考えると確かにそれは嫌かもな」「ちょっと共感できる」など、その人の感性や性癖が感じられるような”偏見”にも似た「嫌さ」にこそ私は面白さを見出します。だからお題に”答える”という意識は自分は捨ててます。お題から少し外れた時の誤差で笑う、というの感覚もあります。他には最近は回答事態の意味や語感のインパクトの強さより、お題と組み合わさった時の距離感を意識してます。別に回答で特別なこと言わなくても、お題としっかり合っていれば(面白い組み合わせになっていれば)面白くはなりますから。でもこの手法は投票者にしっかり拾ってもらわないとめちゃくちゃ沈みます。上手くやらないと普通のこと言ってるだけと取られます。だから最近は「面白いことやってます」的なポーズを取ってる回答がウケてる印象があります。批判じゃないです。そういう回答も私は好きです。あとこれは余談ですが、最近私は母音の「あ」フェチです。これは戒めのために公表しているのですが、ずっと使っちゃってます。母音が「あ」の単語ってめちゃくちゃ面白くないですか?

ネット大喜利で好まれる回答

最近強く思うのは「面白くなくない」つまり「面白くない要素が無い」は「面白い」ということです。個人的な考えですが、ネット大喜利の人は「面白いもの」より「面白くないもの」に敏感です。そして嫌いなものがとにかく多いです。これはネット大喜利をやるにあたってトップクラスに大切な素養なのではないかと思ってます。優しい人にネット大喜利は向いてないのかもしれません。話がそれました。もちろん「面白い要素」も大事ですが、「面白くない要素」を削ぎ落としていった無駄のない文章こそ、私は真に「面白い」と思います。ネット大喜利では声に出して「笑う」というのは然程重要ではないと私は思ってます。勿論私も回答で笑ったりはしますが、ネット大喜利で言う「面白い」とはもっと奥の深いもので、”納得”に近いようなジワジワと気持ちいい感覚なのではないかと思ってます。特別突飛なことを言おうとしなくてもいいのです。余談ですが、「面白くない」をわざとやる「裏笑い」、これは私が今回話した「面白くない要素」を削っていくのと対極にある手法です。たまにこの「裏笑い」と「ネット大喜利らしさ」2つ同時に使ってるような回答を見かけるのですが、マジでどうやってるんだと思います。(私の感覚でですが)

最後に

以上です。声を大にして言いたいのはネット大喜利と世間一般で言う大喜利は別物だということです。ネット大喜利に本格的にチャレンジしたいと思っている方は心の隅にこの考えを置いておくとすんなり馴染めるかもしれません。走り書きなので駄文です。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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